日曜夕刻、弟のもとを訪れた後、近鉄百貨店に寄った。
百貨店入口の真ん前に上本町駅の改札がある。
ちょうど改札を出た付近、体格のいいおばさんらが声を荒らげつかみ合ってどつき合っている。
観光客らは度肝抜かれた様子で遠巻きに見物していたが、ここは大阪、地元民からすれば珍しくもなんともない。
乱闘の袖をわたしは素の表情で素通りし地下の食品売り場とへ向かった。
この日は父の日。
実家への手土産とする日本酒を品定めする。
ずらりと並ぶ1万円の清酒を右から左、そして左から右へと眺めるが選び難い。
何度か見渡しているうち、「南方」という一升瓶に目が留まった。
もしやと思って調べれば案の定。
あの知の巨人、南方熊楠の実父が創った酒蔵の品である。
折しも熊楠生誕150周年であって、今日は父の日。
先日、二男と熊楠について話し合ったばかりであった。
熊楠は漱石や正岡子規と東大の同級生。
が、そこに馴染めず世界を巡り、イギリスでは孫文と仲良くなった。
台湾に親日派が多いのは孫文の影響が大きく、熊楠はその孫文と友だちなのだから熊楠も両国の友好関係に一役買ったと言えなくもない。
熊楠を起点に話は孫文へと移り、孫文がマレーシア・ペナン島で過ごした時期を描いた映画「百年先を見た男」について二男に語って、弁舌に長けたカリスマ孫文と知の巨人熊楠が連れ同士として一体どんな会話を繰り広げたのか思いを馳せた。
来月渡英し二ヶ月ほどを過ごす二男に孫文みたいな友だちができれば素晴らしいと思っていた今日このごろでもあったので、だから当然、実家へと携えるのは大吟醸極撰「南方」の一択となった。
午後6時前、予告もなく実家を訪れた。
日曜の夕刻、二人静かに過ごしていた両親は驚き、そして少しばかりは喜んでくれたように思う。
さあ、さあとわたしは桐の箱を開け南方をつかんで父のグラスに注いだ。
わたしは飲まないが美味いことは香りで分かる。
特に会話に花咲くわけでもないけれど、なんだか嬉しくめでたくて、さあ、さあと促し空いたグラスに更に南方を注ぐのだった。
美味そうにゴクリ飲み干し、父が言った。
おおきに。
それはこちらのセリフ。
そう心で思って、さあ、さあとまたわたしはお酒を注いだ。