実家に寄る前にジムで一汗流した。
これで6日連続トレーニングに励んだことになる。
続いて銭湯。
新年を迎えるにあたって風呂は必須の工程。
だから大晦日はいつも混み合う。
湯につかっていると、一年が終わるのだという感興のようなものが胸にじんわり広がっていった。
供物とする日本酒と今夜父と飲む日本酒の二本を携え実家を訪ねた。
まもなく長男も顔を見せ、ステーキが焼かれ始めた。
孫がやってくる。
それで父は奮発し、萬野で上物の肉をたっぷり買い込んでいた。
焼かれるが先、長男が平らげていくのであっという間に肉は尽き、次に豚肉が焼かれるがこれもまたすぐ長男の胃袋のなかに消えて行った。
機嫌よく酔って父が長男に新品のジャンパーをあげると言い、長男の顔に微か喜色が浮かんだがそれがユニクロのものだと分かって潮引くように喜色は消え去った。
垣間見えたのは、嬉しくはないが嬉しいといったような感情の揺れ。
ユニクロの位置づけにズレはあったものの祖父の気持ちは十分孫に伝わったはずである。
従兄弟の家に行くと言って長男が先に発ち、日本酒が空いてからわたしも続いた。
母が家内の分の年越し蕎麦を持たせてくれた。
わたしも上機嫌。
駅前で仕上げの一杯を飲み干し、紅白を観る家内のもとに帰還した。
二男は毎年恒例家内の実家で過ごしていて留守。
紅白がBGM。
わたしは家内の二万語に耳傾けた。
この日の夕方のこと。
長男とその友人らが前の公園でカラダを動かし家に戻る際、隣家の女子らもたまたま玄関先で用事していた。
家内が間に入って持ちかけた。
コンパすれば。
消化し難い不思議な間が生まれ、その場で話は前に進まなかったが、双方にとって悪い話ではなかったはずである。
昔から知っているから隣家の女子なら安心で、息子の友人らについても中1の頃から知っているので安心。
わたしも家内の考えに賛成し持論を述べた。
清新なカップル誕生には安心と安心の組み合わせがまずは大前提となるだろう。
自由恋愛の世界では、飛沫のごとく生成する縁の気まぐれに翻弄されて、蓋を開ければ訳ありだったということが起こり得る。
誠実かと思ったら実は手癖最悪な男子であったり、清楚な女子かと思いきやそれが生業であったのかと思えるほどの男性遍歴を誇り、あるいはまるですでに結婚していたかのように長く誰かと付き合っていたりと、それも縁と言えば縁であるが、知らぬが仏でなくなったときには心に影を落としかねず、そうなれば時にそれは痛みを伴い非常に苦しい。
影好きといった特異な趣味でもない限り、何もわざわざ影を抱え込むことはないだろう。
そうこうしてる間に友人らの子どもたちもそろそろ適齢期に差し掛かる。
飲むたび誰かいい人はないかといった話になること明白であるから、若き諸君のマッチングについて今から心に留めておかねばならないだろう。