風呂屋から駅に向かう道の途中にお酒の自販機がある。
通りかかったときにアサヒスーパードライの350ml缶を買ってみたことがあった。
ほどよく冷え、取り出し口めがけて転がり落ちる際の回転数が絶妙なのだろう、クリーミーに泡立ってとても美味しい。
わたしのなかベストな味わいのビールがこの自販機によってもたらされる。
仕事を終えての風呂上がり、そんなビールひとつで幸せな気持ちになれる。
幸せの余韻にそのままひたってたまに一人で飯を食う。
先日は駅前の中華屋、大貫の暖簾をくぐった。
すべて美味しいが五目焼きそばが一押し。
その味わいに感嘆しつつキリンビールを飲んでいると、場違いなギャル3人組が入ってきた。
どうやら一見さん。
食べログを見てわざわざこの店を選んでやってきたようだった。
年老いた店主夫婦は朝5時から支度をはじめ、月曜を定休とする以外は夜10時まで地域住民のために中華を作る。
それを何十年と続けてきた。
ある種の守り神のような存在と言える。
そんな店主に「おすすめ」はと気軽に聞くギャルの言葉遣いが耳に障ったし、とりあえず定番を頼んで出てきたラーメンの出汁や麺の具合に能書き垂れるしゃべくりに不遜を感じた。
百年早いだろうお嬢さん。
心のなかで店主夫婦に手を合わせ、黙って食べるのがこの店での不文律である。
キャッキャはしゃいでチャラチャラされると雰囲気がぶち壊しになって、せっかくの五目焼きそばの味が台無しになる。
ぎゃあぎゃあうるさいのは性に合わず、まくしたてられるくらいなら死んだほうがはるかにましで、この歳になると若い頃以上に心静かに過ごしたいと思うから、一瞬でも不快なノイズと隣り合わせになるのが耐え難い。
頼むから静かにしてくれ、というのは何か小説のタイトルだっただろうか。
最近ますますそう思う。
心惹かれるのは、フレームのなかたった一人でいる姿。
孤食は小さな小さな一人旅。
内に潜む願望を反映した一種の代償行為なのかもしれない。