いまもって気持ちは10代であるが、老いは至るところに忍び寄る。
例えば細かな事務作業。
もはや往時の精緻さは保てず、短時間ならともかく長丁場になると苦痛を覚える。
振り返ればわたしの最盛期は30代後半から40代前半までであった。
元気さで言えば10代や20代の方が盛んであったが、書類業務は元気なだけでこなせるものではなく、気まま気まぐれな駄馬を統べるにはそれなり年季が必要で、心技体整ったと言えるのは30歳を過ぎてからだろう。
人生で最も真面目猛烈に、気迫もって仕事に取り組んだその10数年については懐かしいというより怖気覚えて身震いが生じる。
よくもまあ、という思いが込み上がる。
新しいことを覚え未知の分野に土足で入り込み朝から晩まで仕事しておまけに休みもなかった。
あんな奮闘はもうできない。
うまくしたもので40代後半から状況が変化した。
いまわたしは管理側にまわり自身の本質的な業務に注力すればいいという状態にある。
しかし、楽になって失うものもあるのだと最近気づいた。
ちょうどいま時分。
仕事納めが近づくと、目に涙が浮かぶほどの喜びがかつては込み上がってきた。
やり抜いたという充実感とひととき解放されることの安堵感に、緊張が解け心が蕩けた。
そんな感動体験はいまや昔の話。
今年の仕事納めは27日金曜日であったが何の感慨もなかった。
年末年始の休みについても普段と変わらぬ出力で過ごすようなものであるから待望感もなく心踊るようなこともない。
だから、仕事納めの夜も帰宅後家内を誘ってジムに向かったのだった。
前日と同じ分量のメニューをこなし一時間。
さすがに連日の筋トレはハードであったが、それでも気持ちよさが勝って充実感を味わえた。
帰りは家内に運転を頼んだ。
時刻は夜9時前。
信号待ちの際、自転車に乗る少年が前を横切った。
それが合図となって思い出話の幕が開いた。
うちの息子らもその昔、自転車で塾に通っていた。
クルマで送ると持ちかけても彼らは自転車に乗りたがり、西宮北口の浜学園まで自転車で10分ほどの道のりを家内は一緒に伴走し塾に送り届け、塾が終わる頃、また自転車こいで迎えに行き伴走して帰ってきた。
たいへんだったが、いま思えば実に楽しい時間だった。
ハンドルを握る家内の視線の先には、遠い昔の光景が浮かんでいるに違いなかった。
夕飯の時間も思い出話が引き続いた。
スパークリングのあては各種手羽先。
塩麹とニンニクで漬けた後に焼くと肉が柔らかみを増してジューシーになる。
かなり美味しく、そこらお店の手羽先を凌駕する。
家内が言う。
子らに対し私にできることは、ご飯を作ることだけ。
代わりになってやれることはなにもなく、それしかできない。
あれも食べさせたいこれも食べさせたいとばかり考えていて、だから料理しているときがいちばん楽しい。
何気なく料理を出しているように見えるかもしれないが、子らがどんな反応を見せるか実は注視している。
美味しいときは微かに声が漏れ出たり、一瞬箸が止まったり、料理を凝視したりするのですぐに分かる。
そしてそれが勝利の瞬間。
そんな話を聞いて、まるで舞台芸人のようではないかとわたしは思った。
芸人にとっては観客の反応が評価のすべて。
名付けて料理芸人。
連日家内の二万語に耳を傾けていながら、その大半が忘却の彼方へと消えていく。
しかし、この夜の家内の言葉については何としても書き残しておかねばならないだろう。
そうでなければ日記男の意味がない。
記憶が失われる前に記載かなって、いまほっとしている。