空晴れ渡る土曜日の朝、地元神社に百度参りする女性の姿があった。
そこに百度石があるのは知っていたが百度参りする人を目にしたのは初めてのことだった。
年格好と雰囲気から、ちょうど今、子がどこか中学を受けている真っ最中なのだろうと思われた。
その空間にお邪魔するようにして社殿に向かい、歩を進め募ってくるのは、いてもたってもいられない、こいねがうようなその母親の胸中への強い共感だった。
手を合わせ自身の子らのことを唱えたとき、中学に引っかかってのち過ごした息子たちの年月や得られた友人らの顔が頭を巡った。
受験にあたりその充実をあらかじめ告げ知らされていたとしたら切望の度は焦がれるほどに増していたことだろう。
子にそういった日々をもたらすことができるなら親であれば誰だって百度でも二百度でも厭わない。
いま受験に際している親すべての思いが胸に迫って、吉報がもれなく行き渡ることを願うような気持ちになった。