京都での業務を終え家路に就いた。
ちょうど下校時に重なって新快速の車両は洛南の生徒で埋まっていた。
そう言えば、と思い出す。
小学校のとき二男と仲の良かった友だちが洛南に通い、今年東大理一に合格した。
一時疎遠となっていたが、受験というトンネルを抜け幼馴染の縁が戻った。
前の公園で一緒に遊んでいたちびっ子二人がいま東京にて行き来する。
面白いものである。
親元を離れても「基礎がある」から東京にても様々な交流が生まれる。
兄貴の高校時代の友だちだけでなく大学での友だちとも繋がって様々な助言をもらっているようであるから心強く、そしてもちろん星光生との仲は言わずもがな、鉄壁である。
二男は言った。
170人しかいないから66期全員に目が届く。
だから仲がいい。
中高のとき一度も口を聞かなかった相手とも東京で一緒にご飯を食べて、当たり前のように仲良くなった。
星光に通ってほんとうに良かった。
そんな二男の話を受けて、わたしは言った。
そうそう、卒後に更に仲が良くなる。
それが星光。
たとえば33期。
キジくんがタコちゃんのことをタコちゃんと呼ぶようになったのは40を過ぎてからのことである。
医療界でのタコちゃんのポジションを考えれば、40であろうが50であろうが、彼をタコちゃんと気軽に呼ぶなど、一般社会ではあり得ない。
星光時代があればこそ、ポジション以前の関係が事後でも成り立つ訳である。
この週末、息子は神戸に出かけ友だちと会う。
神医の首席合格を目指し、実際、入試結果がA評価だったというから、首席かどうかはさておき10傑には入っている。
そんな友だちの下宿に泊まり、土曜夕刻、星光東京会の新入生歓迎ズームに参加する。
ここにもそこにもどこにでも。
頼りになる繋がりが生じ得て、これはやはり喜ばしいことと言えるだろう。
ネットワークのなかで息をする。
それが人の定めと思えば、親として基礎の組成に肩入れした甲斐もあったと言えるだろう。
ここに越して来たのも中学受験もはるか昔のこととなったが、今になって効いてきた。
そう実感する。