午前中にジムを終え、家内と街に出た。
好きなものをお腹いっぱい食べたい。
そう言う家内に連れられたのは、なんば高島屋の糖朝。
わたしは頭に浮かんでいた焼肉絵図をかき消した。
家内とは胃袋のサイズが異なる。
テーブルいっぱいに料理を頼んだところで、わたしにとってはどれも少量。
紹興酒をチビチビやりながら、ガツガツ食べるというよりはチョコチョコと味見するような昼食となった。
そのようにのどかに過ごす昼下がりであったが、頭の片隅には受験があった。
長男の友人らはセンター試験に臨み、家内のママ友の子らが最難関の中学に挑んでいた。
試験はどうだっただろう。
夫婦の会話は自ずと受験に引き寄せられ、そのたび条件反射のように息が詰まって、揃いも揃ってくつろぎからは程遠い時間を過ごすことになった。
食事を終え、することもないのでぶらり手土産など買い自宅に戻った。
チーズや生ハムといった手頃なつまみで家内と赤ワインを飲んでいると、まもなく二男が帰ってきた。
前日から彼はセンター同日模試を受けていた。
試験について内容を聞き、長男に電話し講評を求めたところ、数学などガラリと傾向が変わって少なくない数の友人らが不本意にも仕損じたということだった。
いくら過渡期だからといって傾向を大きく変えるなど無為であって無慈悲ではないか。
試験の趣旨を考えれば、従来の型を踏襲し当たり前の基本をだけ問えばいいはずである。
何の企みかパフォーマンスか、センター試験の作問者側は出しゃばりすぎなのではないかと父子で憤った。
そんなわたしに家内がインスタを見せてくれた。
ついこの間まで受験生の母であった者らも喉元すぎればどこ吹く風。
高みの見物を決め込むようなそんな大はしゃぎの世界がそこはあった。
渦中にある受験母らがママ友の発するこれみよがしを眼前に突きつけられる。
どう感じるか。
わたしにだって手に取るように理解できる。
おそらく発信側は確信犯。
先行勝者にとっては、待ちに待ったマウント日和。
息潜める相手に対し破壊的な威力を発揮する見事なまでの雄叫びにわたしは度肝を抜かれた。