KORANIKATARU

子らに語る時々日記

息子からの連絡は大歓迎

帰宅すると家内が待ち構えていてジムに連れられた。

この日マッサージを受けてきたばかり。


せっかく全身をほぐしてもらったのにパーになる。

そう考え適当に流すつもりが、やり始めると力が入って真面目にこなすことになった。


途中、長男から連絡が入った。

ネイティヴ相手にもっと英語を鍛えたいという。

ではDMMだろうと合間合間iPhoneを触って彼のアカウントをこしらえた。


そしてまた電話。

息子からの連絡は特にジムでは大歓迎である。

トレーニング中のちょうどいい水入りになる。


わたしのお古のMacBookがとうとうオシャカになったとのこと。


どのみち息子もマックユーザー。

選択肢は限られている。

Appleの画面からわたしが新しいものを選ぶことにした。


MicrosoftのOfficeも必要になるから高くつくが、マックユーザーはそんな出費を厭わない。


春になれば二男にも最初から新品をあてがおう、兄がグレイで弟はシルバー、そんなことを考えていると自分の分を選ぶみたいに楽しくなってきた。


たっぷり運動し終えて帰りにコーヨーで買い物し、やっと家で休息の時間を迎えることができた。


簡単な夕飯を済ませつつ、朝日新聞の夕刊をめくった。

名古屋の「絆絵作家」のことが紹介されていて目が留まった。


あの人が生きていれば。

家族の想いを受け、亡くなった人の未来を絵にしてくれるのだという。

幸せな結婚式の絵や、医師になる夢が叶った絵など紹介されていて、その絵が幸せに満ち満ちているから胸が詰まる。


あり得た未来が絵になって喜びに溢れ、しかし一方、絵自体がそれは現実ではないのだとも同時に語る。


皆が皆、満ち満ちていればいいものを、一体なぜそのような悲痛が起こるのだろう。


絶対的な存在が欠ければ天から地、人生丸ごとが苦しみと化す。

世界の非情に怖気が走る。


ふとした日常の一場面。

ほんとうにいろいろな思いの人がいるのだと、そして、そんな思いに報いる仕事もあるのだと新聞通じて世界の真実を垣間見た。


人に優しく生きねばならない、そんな気持ちになってふと思った。


わたしなら間違いなく絵の側で生きることになるだろう。

その不在に耐えられるはずがない。

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