海を渡ってこの夏キヨシが帰ってきた。
では、集まろう。
そうなった。
キヨシは言った。
みんなに会うのがめっちゃ楽しみ。
その言葉を聞いて大阪星光33期の関係がとても貴重なものに思えた。
この歳になれば誰しもがそうであろう。
ふとしたとき、隙間風を感じるみたいに真実に気づいて孤独を覚えゾクリとする。
わたしについて言えば、息子二人が巣立って暮らしが変わった。
早朝に起き出すのはわたし一人で、いまや朝の行動がルーティン化した。
曜日ごとに決められた種別に従ってゴミを出し、洗濯物を干し、食器を洗い、自分の朝食を作って、また食器を洗い、下仕事を終えてから事務所に向かう。
登場人物がないまま毎日が定型化し、型が単純化すればするほど、いつかは終わる、とのリアリティがむき出しとなる。
かつてあったはずの暮らしの厚みが、日常というコテでのされてどんどん薄っぺらになっていくようなものであるから、実に寂しく物悲しい。
帰宅し家で過ごすにしても、基調は静寂でたまに言葉が発せられるにしてもその風下にて厳しくしつけられた室内犬のごとく部屋の一隅にて寡黙に佇む。
それでも友人らの話を耳にすれば、わたしなどはるかにマシだと思えてしまう。
自身を憂い、友人らを案ずるような気持ちが底流にあるからだろう。
「みんなに会うのがめっちゃ楽しみ」との言葉に励まされるような思いとなる。
3年に及んだコロナ禍によって社会の無縁化の進行が加速した。
だから、わたしたちは思った以上に孤独かもしれず、ふとした拍子、それが極まってしまうと予感している。
だからこそ。
みんなに会うのがめっちゃ楽しみ。
この関係を絶やすことがあってはならない。
そう思う。