休日の予定は家内が決める。
どこかへ出かけようとなれば付き従うし、そうでなければひとりで適当に過ごす。
連休初日の朝、家内がヨガへと出かけたので、わたしはひさびさ武庫川を走ることにした。
9月3日に走って以来であるから、捻挫の影響で2ヶ月も間が空いたことになる。
様子見がてら走るつもりだったが、快調。
普段ジムで鍛えているし、走らないにしても結構意識的に歩いてきた。
だからブランクなど感じることなく軽快に走ることができ、その心地よさを再認識した。
なるほど。
動いてはじめてカラダの声を聞き取ることができる。
走ることは喜びそのものだった。
しかしさすがに一時間も走ると疲労を覚えた。
家に引き上げベッドに横たわると、今日一日をダラダラ過ごそうとの考えが頭をよぎった。
が、少し休んだところでひとりでにカラダがむくりと起き上がった。
つまりカラダは運動を欲しているのだった。
洗濯など用事を済ませた後、ジムへと向かった。
いつもどおりのメニューをこなしていると、大阪でのヨガを終えた家内が姿を見せた。
各々別のメニューに取り組んで、ときおり家内が視界に入る。
で、ふと何というのだろう、その様子がけなげに思え、とても可愛らしく感じられた。
つまりそれは愛情で、長年連れ添いすっかり情が移ったのだろう、内に眠る本心のようなものが予兆なく照らし出されたのだった。
やはりどうやらカラダを動かせば、意識の居場所は浅瀬に留まらず深層へと達する。
サウナにゆっくり入るという家内より先、わたしが帰途に就いた。
途中、阪急百貨店の食品売場に寄って言われたとおりナチュールのワインを選び、肉を買い求めるが、夕刻になって値引きされた奉仕品があってそれらを選んだ。
しかしそれだけでは心許ないので自分の夜食用に柿の葉すしも忍ばせた。
ほどなくして家で合流し、ベランダでわたしが肉を焼き、ホタテやサンマといった魚介はキッチンで家内が焼いた。
そしてワインを注ぎ合って、ようやくの安息。
やんちゃ坊主二人を産み育て、中学受験を一緒に走り抜け、現役で大学に放り込んだ。
そしていまも間を開けることなく東京へと手料理をせっせと送る。
それが凄いことだと素直に思え、一体どうしたのだろう、走った副次効果か、わたしは家内のことを褒めちぎった。