ワールドカップも決勝トーナメントまでくれば奇跡の生まれる余地はないようだ。
日本に続いて韓国も敗れ、アジア勢に立ちはだかる世界の壁をまざまざと見せつけられた日の朝、家内は息子たちのために肉を焼き料理を作り、そしてうちの父のためにも肉を焼いてくれた。
ヨガへと向かう家内のクルマに乗って本町でわたしは降り、そこから実家に向かった。
もはや父の好物はうちの女房が焼く肉と言っていいだろう。
差し入れに父はたいそう喜んだ。
そして炬燵に入って話すことは年末年始のことで、墓参りやお供え物について意見を交わした。
話していて気づく。
二人にとって母はまだありありと生きている存在なのだった。
父は母が用事する物音が聞こえるというし、わたしは夢でしょっちゅう母に会っている。
向こうに行ってしまって寂しいが、遠いようで案外近くに母はいて、だから元旦に真っ先に挨拶するのは母をおいて他になく、その後で母と一緒に食事するのも当たり前の話ということになる。
実家を後にし、わたしはいつものとおり鶴橋のアジヨシに寄った。
こおばしい匂いは向こうにも届いているはずで、それを考えれば、やはり昼からであっても肉が欠かせない。
もちろんメインは冷麺で、冷麺を食べると必ず母を思い出すから一緒に食べているも同然で、四季を通じて冷麺を食べその折々の変化をも母と共有していることになる。
いろいろな場面で冷麺を噛み締めて母を思い、この胸の内は母に届いているに違いなく、そう思えば母の優しい笑顔が間近に浮かぶ。
このようにわたしたち家族全員が母とともにあり、母の語る声に耳を傾けその存在をいまもずっと感じ続けている。
いつも見守ってくれていてありがとう。
感謝の気持ちがこみ上げて、ついうっかり目には涙が浮かんでしまう。