焼飯大盛りとうどんで腹ごしらえし、午後1時、わたしは裏庭に立った。
裏とは言えうちの家のなかで最も日当たりがよく、きちんと手入れさえしていれば庭園と呼ぶにふさわしい場所である。
しかしこのところ手つかずで荒れ放題となっていた。
史上最も暑かったこの夏を経て、種々雑多な植物が伸び放題、腰の高さまで生い茂っていた。
植えた覚えのない木々まで見られ、裏庭を囲うサッシはツルに覆われ、この図に言葉を与えるなら無礼講というのがしっくりくる、そう思えた。
まさか蛇などいないよねと怖気を覚えつつ、樹海といった様の一帯にわたしは足を踏み入れた。
とにもかくにも快刀、乱麻を断つ。
手にする剪定鋸を縦横無尽に勢いよく揮って、片っ端から群生する草木をぶった斬っていった。
かなりハードな作業でジム活とは比較にならない。
上空を寒気が覆い、雲ひとつないから地上はかなり冷え込んでいたがすぐに汗ばんだ。
しかし、野生の血がたぎるからだろう、この作業によって高揚感がもたらされ、わたしの意識は次第、恍惚の域へと至った。
裏庭を塗り潰すかのような緑の濃度がどんどん薄れ、巨視的な眼でみれば、わたしという薬品がペトリ皿のなかに投入されてそこに巣食う細菌類をみるみる駆逐していく。
そんなイメージが浮かんで、この草刈りを息子たちと一緒にやればもっとはるかに手際よく事が運ぶだろうと思え、さもここに息子たちがいるような気持ちで作業を進めたのであったが更に興が乗って動きも戦略的になったから不思議なものである。
息子たちを意識した途端、威力が増したというのは本当のことである。
どうやら父であることは人を別様の存在へと変貌させる。
裏庭でひとり作業を進めつつ、わたしは人の本質の一端を垣間見たような気がした。
父性というのは行動的で率先的で、そして思慮深い。
そしてその父性の気概は原始的なレベルで身体に内在化されていて、発動すればすべてが変わる。
息子を授かり人生が変わった。
常々そう思っていたが、その理由を裏庭にてわたしは覚知することになったのだった。