早朝から朝風呂に入り、家族で朝食も楽しんだ。
心ゆくまで有馬温泉を堪能し、しかし日常へと戻る時間が刻一刻と迫りつつあった。
息子は午後に66期の友人と神戸で会ってそのまま東京へと帰る。
神戸まで家内がクルマで送るという。
だからわたしは家族と部屋でわかれ、ひとりでバス停へと向かった。
安息の極地から月曜の業務へと戻る際、跨ぎ越さねばならない心理的なギャップは甚だ大きい。
気分は塞ぎ、山道を走るバスの揺れが重くのしかかる沈痛さを増幅させていった。
下界に近づき、バスが見慣れた道を走って北山植物園に差し掛かった。
昔、ちびっ子だった息子たちをここに連れてきたことがあった。
そんな記憶がよみがえって、気がついた。
わたしは仕事へと戻る日常が嫌で消沈している訳ではなかった。
胸に巣食っていたのは、寂しさだった。
たった数日であれ家内とともに息子と一緒に過ごし、ほんとうに楽しかった。
その時間が終わって、息子が東京へと帰ってしまうと思うから寂しいのだった。
車窓の向こうに目をやりながら、笑みがこぼれた。
いい歳をして寂しいなんて。
いったん家に寄ってから吹田へと向かい、事務所を経て、本町にて業務を終えた。
忙しく動き回り昼を食べる間もなかった。
だから仕事を終えた夕刻、堺筋本町の駅近くに目新しい店を見つけたのでそこで夕飯を済ませることにした。
寂しくたって、仕事をしていれば我を忘れて腹も減る。
いつしかわたしの日常はすっかり元の形を取り戻していたのだった。
そして胸にはできたてホヤホヤ、次の宴の計画が宿りはじめていた。