KORANIKATARU

子らに語る時々日記

たまたま当事者でなく、たまたま爆弾も降ってこない

仕事で遅くなったので、一杯飲んで帰ることにした。

懐メロが流れるなか、ひとりくつろいで過ごしているとニュース速報がiPhoneの画面を横切った。


手に取って内容を見るとガザで戦闘が再開されたとのことだった。


夏にガザの窮状を報じる新聞記事があった。

発電設備が十分に備わっておらず、酷暑のなか4時間しか電気が通じない。

冷蔵庫のなかのものは腐り、夜、眠れない。


ひどい暑さの夏であったから、その場に身を置くことを想像しわたしは戦慄した。

とてもそんな暑さのなか冷房なしでは暮らせない。


そしていま彼の地に現出している地獄は、酷暑による窮状の比ではない。

人々が殺され、大半が子どもたちだというから胸が痛む。


人は人を殺さぬようセットされているわけではなく、子を殺さぬようにもセットされていない。

留め金が外れれば一気に野蛮さが噴出する。


その本質に目を向ければ、子を持つ親としてタカ派と目される政治家に投票したいとは思わない。

が、しかしここ地元で選出される議員はかなり濃い目のタカ的思想の人であるようだ。


居酒屋で飲んで語らうおじさんらを眺めて思う。

彼らのなかにも暴力性が潜んでいる。

だからタカに一票入れてもなんら不思議なことではない。


その暴力性はいまは眠っているだけで、何らかの拍子に目を覚ませば手が付けられない。

そう心得ておくのが認識として正しいのだろう。

みんないい人と思い込むナイーブさは、いつかこっぴどい仕打ちを受けて、現実を前に打ちひしがれる。


いい感じで懐メロが流れ料理もままおいしく、夏は涼しく冬は暖かで、ふじやはいつだって居心地がいい。

それにほんとうに幸いなことに、ガザと異なりここには爆弾も降ってこない。


たまたま運がよかった。

しかしそう思って済ませることをよしとしない心根も人間には備わっている。

それをかき集めれば、なにか解決へと進む光が見えるのかもしれない。


殺し合うという人の習性を過去のものにできればどれだけいいだろう。

2023年12月1日昼 谷六 忠弥

2023年12月1日夜 西宮北口 ふじや本店