ひさびさに実家を訪れた。
言葉少なに父と言葉を交わしながら、しんと静まる実家の台所に目をやった。
料理を作って動き回る元気な頃の母の様子が目に浮かんだ。
しかしその像はわたしの内にあるだけで、台所は空虚に静まり返りそこだけ時間まで止まったままといった風に見えた。
バレンタインデーと言えば母の誕生日だった。
79歳になるはずだったから、もう三年も母に会っていないことになる。
何がどうなっているのかさっぱり分からない。
え、そんなことがあり得るのだろうか。
いつまで経ってもどう考えても、母がいないというその不在が飲み込めない。
父もまったく同じ心境なのだろう。
だから黙って台所に目をやって、双方、言葉に詰まって会話はただただ先細っていくだけだった。
小一時間ほどで実家を後にし、わたしは業務に向かった。
このところ、入れ代わり立ち代わり気の張る仕事が舞い込んでくる。
ふと思う。
もうゆっくりしてもいい歳である。
のんびり過ごして誰かに咎められるといったこともない。
だからあとはもう無理せずスローペースでいいではないか。
で、いつもと同様、思い直す。
頭に浮かぶのは決まって息子たちのことである。
今後彼らは仕事を通じいろいろな状況に直面することになる。
だから、いまわたしが対峙する場面も彼らにとって有用な教材になり得るだろう。
つまり実に喜ばしいことに、わたしは先発隊として渦中に身を投じ、彼らへの「果実」を持って帰ってくることができるということである。
となれば、俄然、仕事への関心が増し意欲も湧いて出る。
わたしにとってすべてが貴重な学びの機会ということであり、一歩踏み込んで得た情報を息子たちに手渡せば、それは彼らにとって間違いなく値千金な糧となって未来を照らす。
であれば隠居などしている場合ではないだろう。
息子がいればこうした形で老体もまた叩き台としてのガッツを得られるのだった。
これこそが戦う理由。
仕事へと向かいながら人類の普遍を鮮烈にわたしは感知しているのかもしれなかった。