家内が持たせてくれた焼肉を携え、朝一番で実家に寄った。
座椅子にもたれ朝の情報番組をみる父のかたわらに座って近況を話し、話題が途切れるとテレビに目をやった。
野球選手の通訳が違法賭博に手を染めていたとの話題が取り上げられていて、父は言った。
テレビは同じ話ばっかりや。
その言葉で独居する父の日常が窺い知れた。
そして父はぽつりと言った。
孫が立派に育って羨ましい。
そう言うてくれる人もいるけど、あとは寂しく死ぬだけ。
人生、虚しいな。
長年一緒に暮らしてきた伴侶が不在となった家で、ひとりで過ごせば空虚な思いが募るのも致し方ないのだろう。
実家を後にし、わたしは自身に引き寄せて考えてみた。
ぽっかり胸に穴が空き、何がどうあれ、その穴は塞がらない。
しかしそこだけに目を注げばただただ辛くて苦しいだけである。
だから、穴が空いたままであっても、チャンネルを切り替えるように、他の世界にも身を置くことが精神を保つうえで不可欠なのだろう。
仕事があった方がいいし、家族の他、友だちもいた方が絶対いい。
趣味である日記も続け、気力を保つため身体も鍛えておくに越したことはないだろう。
そうすればいざというとき、身に押し寄せてくる空虚感を多少なりともせき止めることができるような気がする。
老後の備えとは何もお金ばかりのことを指すのではない。
方々で満開となって目にも鮮やかな桜を横目に、わたしは老いた先のメンタルの土台について思い巡らせ、今だって例外ではなくそれが必須なのだと気がついた。