ここ最近はSNS警察の取り締まりがキツくなり、以前のように奔放なウソが跋扈し難くなっているのだという。
誰かの画像を剽窃しさも自分の持ち物のように見せびらかせたり、偽ブランドをひけらかせたり、嘘八百の留学経験や経歴を語ったところで、どこで誰がみているかしれず、ウソを見抜く技術も増しているから、相手陣地にグラウンディングするまで小ウソが無傷で駆け抜けるのはいまや至難の技となった。
そもそもSNSは承認欲求を満たすためのウソで溢れ、その本質を考えれば正しい情報が流通する場所ではない。
誰もがそう知った上でしかし、ああ、信じようとするのが人のサガ。
稚拙なウソであっても、まるで積極的ともいえる勢いで、人はウソを飲み込み信じてしまう。
そのように駆け抜ける側と受け入れる側の相互作用が相照らされてSNSの場が活況を呈するのであるが、ズルして承認欲求を満たす不届き者など許すまじとの一団がどこかから現れて、小ウソの肩身はだんだん狭くなりはじめたというのがSNSの現在地点と言えそうだ。
その昔、ある事業主に言われたことがあった。
いい流れにある人と付き合いなさい。
悪い流れに関わると足を取られるよ。
以来、肝に銘じ、事ある毎にその言葉を念頭に置くからだろう。
いつしか、なんとなくではあっても、いい流れと数多ある悪い流れの見分けがつくようになった。
前へと進むと見せて流れのまま後退し、それがグループを成すから、おそらく渦中にいれば、前後の方向感覚が失われるのだろう。
よってたかってイージーに後退していく様は、嬉々とした様子にさえ見える。
たとえばそんな流れがあって、小ウソが承認を求めてどっかと腰をおろす場に奇異を感じて距離を置き、疎遠になったが失うものは何もなかった。
承認の争奪戦のなか小器用に立ち回る才覚がなければ、アホの一つ覚えであったとしても、盛ったり飾ったりといった世界を遠目に地味に泥臭くいかにも映えない世界で日夜過ごす方が、見咎められることもなく、実のところすいすいと前へと進む。
かつて耳にしたいい流れと悪い流れについて多少説明を加えるならそのような話になるのではといった気がする。