KORANIKATARU

子らに語る時々日記

敗残者が率いて今に至る

知らぬが仏とはよく言ったもので、わたしは自身が人生の敗残者であったことに気がついていなかった。


当時、わたしは人生の敗残者だった。
だから、そのように粗末に扱われた。


なるほど。
そう言われてみれば辻褄が合う。


夫婦だからといってなんでも話題にする訳ではない。


極端にエネルギーが失われるような話があったりするから、そこは注意深く回避せねばならない。
が、この日はたまたま。
相手がその話題に触れていたことだし、つい油断しうっかり余計な言葉を差し挟んでしまった。


うちでは長男も二男も対等に扱う。
わたしも家内も息子たちをMAXの出力で愛するから差のつきようがない。


が、子どもだからといって誰もが平等に遇される訳ではない。


そんなことを思い出すのは誰だって嫌だろう。
ちょっとした言葉がきっかけとなって、たちまちにして不穏な空気が流れ始め、あっと気付いたときには遅かった。


で、ネガティブな流れは別のネガティブな流れを引き込んで目も当てられないのだった。
なんとも嫌な話が続いて、わたしは自身についての真実を告げ知らされることになった。


そう言えば確かにそのとおり。
別に名の知れた所に勤めている訳でもなく、海のものとも山のものとも知れぬしがない自営業者であった。
市内の下町で暮らし、子どもたちはユニクロばかり着てこれまたぱっとせず、おまけに手を焼くようなやんちゃくれだった。


一段も二段も低く見られて無理はなかった。
その一方、わたしは希望を胸に自信満々で気後れなどなく、いつか子らは人間化すると確信していたから、自分が敗残者であることにまったく意識が向かなかった。


しかし、女性と子どもの感性は別物だった。
家内はその蔑みを痛いほど感じ、子どもたちはサル同然の本能で幼いながらも真相を看破していた。


そのように敗残者が率いる家族が何とか生き残って、今に至る。


もちろん引き続きしがない自営業者であるからわたしが敗残者であることに異議はない。


では向こうは。
そんな無意味な問いが一瞬浮かぶが振り払う。


人を上下にみる眼というのは罪なものである。
それで態度を変えるなど物悲しい。

そんな短慮は遠ざけておくに越したことはない。

2024年5月20日朝

2024年5月20日昼

2024年5月20日晩