日中は汗ばむほどの陽気となった。
だから、外を回っていつにも増して草臥れた。
帰宅すると家内が玄関周りをきれいに掃除していた。
さっきまで事務所で業務を手伝っていたはずだったから、その神出鬼没ぶりに驚いた。
水を撒きつつ家内が言う。
家の入り口をきれいにすると気の流れが良くなって物事もいろいろと良い方へと向かう。
ヘッドマッサのカリスマ施術師からそう教わったのだという。
夕刻になって街を覆っていた熱気が一斉に後退し、風が涼気を帯びはじめていた。
なるほど。
確かに気の流れが良くなっていると感じた。
玄関先で着替え、走ってくると言ってわたしは家を出た。
ご飯を作っておくとの家内の声を背で聞いて、よろしくといった感じでわたしは振り返って軽く手を挙げた。
新緑の香を運んでやわらかな風が水辺を吹き渡って実に清々しく、出だしの走りは軽快だった。
しかし日中かなりの歩数を市内に刻んで疲労していたからだろう、たちまちペースがガタ落ちとなった。
それでも何とか持ち堪え、呼吸を一定に保って心を無にして走り抜いた。
帰宅しシャワーを浴びてリビングにあがると夕飯が整っていた。
わたしはノンアルで家内はバロークスのスパークリングを開けた。
ブリ大根からスタートし、鶏皮ポン酢、若ごぼうと進む。
どれもこれもかなりおいしい。
そして締めが辛味のトマトスープでこれが絶品だったからわたしは絶賛し二度もお代わりした。
そんな夕飯の時間、前に座る家内がiPadでいろいろな人のインスタ画像を見せてくれた。
子どもが小さかったとき、着飾る余裕などまったくなかった。
あの時代にインスタなどなくてほんとうによかった。
もし当時こういうのを目にすればあまりの境遇の違いに、落ち込むような気持ちになったと思う。
そう言って家内は感慨にふけった。
インスタは演出も含めてベストな画像が人も羨むようなエピソード付きで打ち上がり、それがごく普通、日常のありきたりな光景として人目に映る。
これが実のところパンチとなって、見る者の心奥深くにガツンと打ち込まれる訳であるから、そのうち心身に良からぬ影響が及んでくるのも当然だろう。
一方、見せる側はまるで何か中毒みたいに「こんなに幸せ」との顕示をますますエスカレートさせていく。
そしてこの世界ではフォロワー数が顕示への呼応を表す指標となるから、それを買い足すような人さえ現れる。
あるアカウントなど中身を見ると訳のわからないフォロワーに埋め尽くされて、思わず信玄の言葉が頭をよぎった。
人は石垣、人は城。
これはもう顕示を争奪する戦国絵巻というしかないだろう。
きれいに映る画像の向こうから、必死のパッチの俗臭がこちらにまで漂ってくるかのように感じられた。