出先にて一席ぶって、実にいい感じで業務をやり終えることができた。
かなり受けよく魔力まであと一歩、そんな心地よい万能感にひたりつつ事業所を後にした。
思った以上に力を使い果たしていたのだろう。
電車に揺られているうちに疲労を覚えた。
ちょうど時刻は夕刻。
途中の三宮で降り一杯やってから帰ることにした。
往来を歩きつつ入りやすい店を探して、若者らが憩うような店でくつろいだ。
ちょうどその頃、家内は神戸での料理教室を終えたところだった。
今日はジムには付き合えない。
そう返信し、わたしはひとりスローダウンの時間を楽しんだ。
月末にかけ忙しそうだから事務所に差し入れでも持って行く。
家内からのメッセージに目を落とし、わたしはその行動力に改めて感心させられた。
前の日は事務所のお使いで奈良へと赴き、この日の朝は息子のために肉を焼いてそれを配送センターへと運び、次の日はこれまた事務所のお使いで滋賀の草津へと足を運んでもらわねばならない。
そんな外出業務を嬉々としてこなし、その他、旺盛に動き回るそのパワーは一体どこからやってくるのだろう。
このところ年齢についてよく考える。
年齢が近くても、この歳になると外見に差がつき過ぎて実際に歳を聞くまで見当がつかない。
特に女性の差は激甚で、それを目の当たりにするとなんとも複雑な思いにかられる。
結婚したとき家内は20代後半だった。
その頃からピカピカだったが、今もそう。
日々積極的に動き回り、美容に関する手入れを欠かさずたっぷり運動して食事にも気を配る。
そんな結果がピカピカの保持に結びつき、いつまで経っても活発で元気ということになるのだろう。
想像してみる。
もし気苦労絶えず艱難辛苦とともに老いと脂が降り積もり、ということであれば辛気臭く陰気な家庭であっただろう。
で、気付いた。
パワーの源について答えは簡単、幸せだから。
だから若さが保たれる。
となると、息子二人も功労者であるが、わたしだってそこに名を連ねておかしくはない。
男三人がかりでその幸せに貢献し、だからそんじょそこらのことでその若さが翳ることなどないのだった。