KORANIKATARU

子らに語る時々日記

親から子へと引き継がれる特質磨きの旅

ムービングを見始めて、ドラマの主旋律が親の愛だったからどんどん引き込まれていった。
それでも忙しいから一挙に見るといったことはできず、二ヶ月ほどを要してようやく最終盤に差し掛かった。


親の特質が子に引き継がれる。
功罪相半ばするような話であり、吉と出るのか凶と出るのか一概には判断できないが、それでやっていくしかないからしょうがない。


ドラマを見るたび、我が身に引き寄せて考えた。


若い頃、わたしは自身の特質について理解すら及んでいなかった。
なまじっか算数が得意で理数系の科目ができたから、わたしの特質はそこにある。
若気の至り。
そう思ったとして責められた話ではないだろう。


で、いともあっさり大学にて、その程度で「特質」を気取るなどあり得ないと思い知らされ、一から出直しとなった。


その道のりは長く果てしなかった。
超能力と異なり、普通の特質は全く目立たないから簡単には見つからない。
だから特質と本人が思い込んだところで、単なる思い込みということが大半なのではないだろうか。


ひとつひとつの場面から逃げず向き合い、うまずたゆまず格闘するプロセスを経てやっとのこと、覆いかぶさった砂塵が少しずつ取り払われるみたいにして、ああこれかと視認できるような類のものと言えるだろう。


そしてそんな長い時間を経て一貫し、反復継続して表出するものであるからこそ、その実在は確かなもので、失くしたり奪われたりするようなものではないと分かって自分は自分といった何ら衒いのない気概が身に備わるようになる。


その段階に至ってはじめて息子たちに有益な助言ができるというものだろう。


彼らも算数ができ数学に長けていた。
が所詮そんな程度ではたかが知れている。


家内とわたしゆずりの特質がブレンドされることを考えれば光の当たる場所にはおおよその察しがついて、彼らが文系へと進んだことはその特質を存分に活かすうえで正しい選択であった。


で、引き続き親はその特質磨きの日々をうまずたゆまず突き進んでいく。
先発隊として、また製造物責任者として、それでどこまでいけるか見せてこその親というものだろう。


そのようにいつだって、自分について考えているように見えるときであってさえ親は子のことを考えているのだった。

2024年5月22日午後 西大寺 KOMFORTA(コンフォルタ)