西大橋での業務を終えて夜、北新地に向かった。
が、予定の会食が急遽延期となって、さあどうしたものかとそこらを歩いていると家内から連絡が入った。
いま髪を切って美容院を出たところだというから、地元の駅で待ち合わせることにした。
神戸方面への電車に乗って考えた。
大阪の下町生まれで下町育ち。
そんなわたしであるから、そもそも神戸方面になど用はない。
それが一体なぜこっち方面へと足が向くようになったのだろう。
まもなく昔の記憶が忽然とよみがえった。
あれは結婚前のこと。
うちの家内はP&Gで働き受付を担当していた。
場所が六甲アイランドで、しばしばわたしは会社の客みたいな感じで受付を訪れ、そこで合流して家内と食事したり映画をみたりしていた。
いま思えばそんな月日が地ならしになり、やがて阪神間が馴染み深い場所としてわたしの中に定着していったのだろう。
であっても地盤は大阪であるから結婚当初は大阪で暮らした。
転機は長男が小学校にあがる直前にやってきた。
このまま地元の小学校にあがればワルになる。
家内はそう案じ、案じ始めるとその方向で情報が取捨選択されるからまもなくその心配は確信に変わってわたしも同じ考えに傾いた。
自然と候補に阪神間が浮上して、行動力において図抜けた家内であるからたちまちのうち物件候補が幾つもあがって、その3月にはわたしたちは大阪の住居を引き払うに至った。
そんなあれやこれやを懐かしみつつJR神戸線の電車に揺られ、納得がいった。
些細なことが人生の方向を決定づけ、いつしか神戸方面がわたしのなかで順目になっていたのだった。
前日は奈良で待ち合わせてイタリアンを食べ、この日は地元で日本食。
あちこちで待ち合わせて一緒に食事する習慣は当時から変わらず、しかし帰っていく場所は、今では当たり前のようにこの土地なのだった。