最終の業務地は河内磐船だった。
京橋で乗り換え事務所に寄り、皆の顔を見てから堺筋本町へと移動した。
ある集まりに呼ばれ顔を出し、自分の名の記された円卓に腰掛けた。
右の隣席がブティック経営の女性で、主宰者によれば「お酒が強いものどうしを並べた」とのことだった。
なるほど左に座るのが主宰者側の女性で、事実上、お世話係みたいなものであったから、会がはじまり、じゃんじゃか飲むことになった。
合間、合間、市や府や国会の議員さんの挨拶などが差し挟まった。
誰もが話し慣れ、立て板に水であった。
見事な話っぷりではあるものの、新聞の見出しにあるような常套句が並ぶだけの弁舌で心に響かない退屈な歌を次々と聴かされているようなものであった。
そんななか、松川るいさんの話っぷりは際立って他を寄せ付けなかった。
「ああ見えて岸田総理は」といった独自視点のエピソードなどがふんだんに入るから、「え、なになに」といった感じで聴衆は惹きつけられた。
喋りの名人はそのように「ツボ」を心得ている。
ぜんぶ聞き終え、みんなの記憶に残ったのは松川さんの話くらいだけだったのではないだろうか。
そんな会場でわたしは隣席の方の話を興味深く伺った。
旅行が好きとのことで、先日はドバイ、先先日はスペインを訪れトレドに感動したという。
わたしたち夫婦もついこの間、トレドを訪れたばかりである。
そんな奇遇があるものだろうか。
聞けば女子大時代から北海道を一周するくらい旅行が好きで、それが生きがい、あちこち経巡り歩き、そのために生きているようなものということだった。
いろいろ訪れたなか、トルコがいちばんよかった、モロッコも。
このような情報の入ってきかたには意味がある。
偶然ではなく必然。
女房と年に二回、遠くを旅することができるとして、来年はトルコとモロッコ。
しこたま飲みつつ、わたしはそう決めた。
政治家の話は終わって、いつしか生演奏がはじまり、終盤にはどこかの歌手が熱唱していた。
いわば喧騒ともいえるなか、わたしは次に訪れる異郷を目に浮かべ胸を膨らませていた。
会が終わって、わたしは主宰者に申し出た。
来年もまた隣の席はあの方にしてくださいね。