リキシャー引きが、忽然と躍り出て、どえらい迫力で走り出す。
ずいぶん昔に観た映画、カルカッタを舞台にしたシティオブジョイの1シーンだ。
リキシャーをがっちりつかんで疾駆する男は、娘の結納金を稼ぐため気炎ほとばしらせ仕事に精出すハザリである。
話の筋は忘れてしまったが、ハザリが街を駆け巡る場面だけが突如として蘇った。
力が込み上がってくるシーンだ。
娘の結婚を実現させる、その達成願望の強度がハザリの力強い走りから伝わってくる。
仕事馬力の発生源は、そこにある。
最近、自分自身の主題が、「疲労管理」に陥っていた。
明日どれだけの書類を作成できるか、天候には左右されないけれど、気分をも含めた疲労感と無関係ではない。
それで疲労除去や気分転換についてノウハウを蓄積し、適宜対策を講じてきた。
しかし、それらの方策は上っ面の対処療法に過ぎず、どツボで行きつ戻りつするようなものである。
落ちた部品を拾いに戻りながら、あちこち補修の手を加えながら、オシャカ寸前のポンコツリヤカーを騙し騙しノソノソと引っ張り続ける者は、ママチャリにさえあっさり抜き去られる。
ガタがきたリヤカーほど疲労感募らせるものはない。
疲労を処置したところで、半壊したリヤカーはそのままだ。
着眼すべきは、どうすれば諸悪の根源となっているリヤカー自体を、疾走に足るほどピッカピカにすることができるかである。
そしてピッカピカにするための妙薬は、「このままじゃこのままだ」という危機感と表裏をなす達成願望にあるようなのだ。
結果的に生じる疲労感をケアするなんて二の次三の次である。
そもそもの疲労の原因である仕事自体へのアプローチを考えるのが先決だ。
達成願望を喚起するコツは、差し迫る問題への対処は一切棚上げにし、少し遠くを見ることである。
ルーティンワークは後進に委ね、自らは更に技を深め高次の仕事に挑戦する。
今後主戦場とするエリアを数年越しで展望する。
40越えたおっさんの身であっても、少し先、少し遠くを見渡す視線が生まれると、ワクワクゾクゾク感が込み上がってくるではないか。
ウキウキした気分になると現状の改善案もいくつも浮かんでくる。
現状の改善案を間近睨んでしかめっ面で考えるより、ちょっと先の未来まで射程に含めた頭で考えた方がアイデアが生まれてくるから不思議なものである。
あたかも未来の自分が知恵貸してくれているかのようだ。
未来像が定まると、真っ直ぐそこへ行こうという強い願望が生まれる。
そして、ピッカピカのリキシャーをむんずと掴んで、ハザリが疾風怒涛走り出すのだ。
仕事馬力の化身であるハザリがわっしょいわっしょい威勢良く走り出すのであれば、苦役ですら幸福と思えるかもしれない。
ハザリが走り出した者勝ちである。