KORANIKATARU

子らに語る時々日記

雲泥の差

夏休み、地元西宮の母親有志が公立小学校の便所掃除を買って出てているという。
公共のトイレは通常よほどのことがない限り使用する気がしないものであり、学校のトイレも例外ではないのだがその状況を改善しようということらしい。
暑いさなか、スケジュール割いて各学年のトイレを手分けしキレイにしていく。
親心に端を発するものであっても、その公共心は見上げたものである。

昼日中からワイングラス傾け、無駄話に興ずる母親の一団もあるというが、地に足着いた見識ある母親の存在は頼もしい限りだ。

堅苦しい話や有益な話ばかりが話ではないけれど、類は友を呼ぶで、下らない話というのは、失笑禁じ得ぬほどに極まって不謹慎おバカ丸出しだという。
かつての華麗な男性遍歴やあんなものこんなもの買ってもらったというブランド物にまつわる逸話を、市井の人々が額に汗し勤労するお天道さまの下、着飾ってぺちゃくちゃ夢中でお喋りしているそうである。
わーすごい、と見え透いた、腹の底では小馬鹿にしせせら笑い合っている賛辞であっても、それなくしては地味な主婦の日々を片時も過ごせないのだろう。

そのような方々が御座せられても一向に構わないし、何を喋ってようが関知することろではないが、それが君たちの奥さんだと想像すると、嫌な気分がしないでもない。
それなら、シャキシャキ学校の便所掃除でもする女性の方が絶対にいいだろう。

男性のことは棚に上げるが、女性の当たり外れは、これはもう激烈凄惨だ。

よほどの目利きでない限り一瞥では見抜けないし、ちょっと一ひねり演技されれば、女性についてはどういうわけか妄想の性善説を育て上げている多くの男子はイチコロ、コロリである。
凄腕の女性にかかれば、まず勝ち目はないと謙虚に思った方がいい。
次の瞬間、猿ぐつわで四肢縛られ人生の自由を奪われる。
瞬殺である。
そのような趣味でない限り、これはもう阿鼻叫喚、おぞましい奈落の底の暮らしとなる。

良い女性に巡り合うことである。
そのために労を惜しんではならないし、事を急くのは絶対に御法度だときつく戒めたい。

ゲラゲラ悪口雑言に明け暮れ腹抱え、カネとモノ以外の値打ちを知らず、雑誌以外には一行も読まず、恥じらいも品性も欠き、辛抱きかず、男とみれば色目を使い、癪に障れば執念深く、他人の不幸に舌なめずりし、年寄り子どもを大事にせず、出会い系で男であれば誰でもいいと交際の枝葉を節操なく広げ、、、まだまだあるだろうが、そんな女性が存在するのも事実なのである。
善し悪し見極める眼を養うことが、死活的に大事であると再三繰り返しておく。