KORANIKATARU

子らに語る時々日記

子らに教えることのうち真ん中に持って来るべきだったこと


建設関連の業者さんらがベトナムからやってきた外国人技能実習生のことをしきりに褒めている。
たいへんに優秀で、仕事覚えの早さ、現場での信頼感、機器操作の習熟度、創意工夫、それに礼儀作法どれをとっても日本の若い職人が敵うレベルではないという。

熟練の親方さんらは口をそろえる。
彼らベトナム人の研究熱心さは、わしらの若い頃にそっくりだ。

噂が噂を呼び、事業協同組合に加入し外国人技能実習生を受け入れようと試みる業者さんが増えているようだ。
ちょうど昨年あたりから現業仕事の求人が極めて困難となってきた。
そういった諸事情が外国人技能実習生招聘という方向に拍車をかける。

建設業界だけでなく慢性的な人手不足に悩む介護業界などにおいても、需要と供給の摂理に従い外国人技能実習生として働き手を招き入れる動きが鮮明になっていくことだろう。

そして、彼ら彼女らは、日本の年若い働き手を凌駕する。

生まれ育った環境が違いすぎる。
日本において貧困化が進むといっても、彼の国から見れば全員ひっくるめてのんきな富裕層みたいなものだろう。

日本において子らの体力は低下を続け、本は読まず学力もあやしく、勉強時間は歴然と激減し、自己評価は卑屈なほどに地を這う惨状となっている。

そこに明治や昭和初期の頃合いの日本人みたいな、ギンギラ目を輝かせた意欲旺盛なアジアの若者が入ってくる。
勝てるはずがない。

少子化による人口減によって将来の労働力の供給が危ぶまれているが、外国人技能実習という趣旨違いの制度が活用されることで、解決の方向性は明確となっていくに違いない。

そして、日本人にとってますます根こそぎの空洞化が進行する。
日本の屋台骨であった製造業の生産拠点が海外に流出し、国内に残る過酷なサービス業や現業仕事は活気に満ちた外国人労働者が担っていく。

子供の数が減っていく、日本で起こっているのはそれだけの話ではない。
子らにとっては、未来のイメージは不透明さを増すばかりであり、居場所は先細りその確保も覚束ない。

そして、ショッピングセンターだけがやたらと増え、テレビつければサルまがいがキャッキャとはしゃぐ。

内実は空虚となり、虚飾の「化けの皮」だけが分厚くなっていく。

一人や二人のおつむがカラッポといった局所的な話ではなく、何だかわからないまま皆がそうなっていく。
これは深刻な話に違いない。


我が家の田吾作兄弟については、まだ赤ちゃんという時点から水泳を習わせ、走れる年齢になってからはフットサルの練習に連れて行き、両方続けさせ、幼少時を終える頃からラグビーに移行した。
小学校低学年までは勉強については注力しなかったが、それでも公文とソロバンは習わせた。
小学4年からは、競争に晒され課題たっぷりとなる受験塾に放り込んだ。

自然体験や地域における社会体験なども必要だと、伊丹昆虫館友の会に入り昆虫採集など数々のアクティビティに送り出し、西宮ボーイスカウトで催される地域行事にもことあるごとに参加させてきた。

のんびり過ごして生き抜ける世ではないだろう、そのような危機感が背景にあった。

知力体力を鍛え、他者とも交流できる人間性も備えさえなければならない。
そうであってやっと一人前になれるかどうかだ。

そのように考え、それが子のためになると思ってやってきたけれど、肝心なことが抜けていたと今更痛感する。
仏作って魂入れず、みたいなことである。

人間としての倫理観や思想といった精神の核とも言うべき肝心要については、ほったらかしにしていたようなものである。
おのずと備わるであろうと思っていたが、それこそ真っ先にそれについて語るべきであっただろう。

言い換えれば、理想、ということになる。

このような人でありたい、社会はこのようであった方がいい、人と人の関係はどうあった方がいい、そのような理想があってこそ、倫理観やその人なりの思想が鍛え上げられていく。

このご時世、我が身から理想が湧出しないのであれば、寒々とした暗夜を手探り心もとなく進むようなものである。

体力や知力がいくらあっても、そもそもの動力の源が立ち枯れていては、何もかも虚しいだけのことになるだろう。

今後は、子らと膝つき合わせてそのような話を盛んにしていかねばならない。


映画「ポルトガル、ここに誕生す ギマランイス歴史地区」は4つの短編で構成される。
その中のひとつ、ビクトリ・エリセの「割れたガラス」が強く印象に残った。

2002年に閉鎖されいまは廃墟となった工場跡の食堂、その壁面に巨大な写真が掲げられる。
労働者たちが所狭しすし詰めとなってスープ一杯だけの食事をとりつつ半ば無表情で一斉にカメラの方を向いている。
19世紀、産業革命後のヨーロッパにおいて、課される労働は熾烈を極めた。
写真が捉えているのは、その当時の労働者の表情だ。

巨大な写真を背にして、あるいはその写真に向き合い、かつて工場で働いていたという老いた人物達がひとり語りをはじめる。
人物が入れ替わりながら、彼ら彼女らなりの思い出が語られていく。

工場での仕事、夫婦や家族の話、夢やあこがれ、背後の写真に目をやって当時の苛酷さを労う話、各自各様話が紡がれていく。

ある老女は語った。
私には幸せという言葉の意味が分からない。
楽しい、という言葉なら分かる。
でも、幸せとは何なのか、それは分からない。

語られる話はどれも重く、一個の生が経てくる道のりの険しさに、言葉を失う。
ただただ厳粛な気持ちとなる。

両親や祖父母がこの工場の工員だったという男性が最後の登場人物だ。
彼は苦学しつつも大学に進学し音楽家となった。
彼は写真に向き合い、アコーディオンを奏でる。

鎮魂のように響く音色とともに写真に映る一人一人の肖像がアップで捉えられる。
もはやこの地上には存在せぬ彼ら彼女らの思いがダイレクトに伝わってくるような気がしてその表情に目が釘付けになっていく。
何かそこから汲み取らなければならない、という義務感のようなものに駆られる。


毎朝通勤時、クルマでFMココロを聴く。

今朝、「オナカ・イ・タ・イ」という曲が流れた。
テストの前になるとお腹が痛い、といった風にカラダはどこも悪くないのに、ここ一番、お腹が痛くなるという内容の曲だ。

うちの田吾作兄弟周辺は元気旺盛かつ才気煥発な子ばかりなので巷間言われる子供たちの気力やら体力やら学力やら諸々の劣化具合について私自身は実情を知るところではない。

しかし、大多数の子らについてその能力を育成するための諸状況が本当に悪化の一途を辿っているだけなのだとすれば、「オナカ・イ・タ・イ」世代とでも言うべき頼り甲斐に欠ける一群を気概ある外国の若者が助けるという未来図もあながち的はずれなものではないだろう。

日本の若者だけに寄り掛かる肩車型の社会保障などますます現実味に乏しい。
未来の社会保障は生産性高く頼りになる若い外国人を交えての胴上げ型とならざるを得ないのであろう。