KORANIKATARU

子らに語る時々日記

家庭の世論と骨肉の争い


面談が長引いた。
時計を見ると13:30。
腹ペコであった。

顧客先を出て路上、昼食を求めネット検索する。
六甲道、ラーメンと入力すると、神戸市灘区おすすめラーメンというページに行き当たった。

その筆頭に掲げられたラーメン屋が目と鼻の先にある。
グーグルマップを手がかりにし店に向かう。

こじんまりとした店構え、引き戸を開けて中に入る。
辛気臭い、陰気な店だ。
引き返そうと思うが、空腹がこらえ難い。

食券を買って、狭苦しい座席に着いた。
店員は二人揃って根暗で無口。
まるで何か隠し事でもしているかのよう、目も合わせない。

生気奪われるような空気のなか、小さく肩をすぼめてラーメンを待つ。

意外にも、出てきたラーメンは見惚れるほどに見栄えがいいものであった。
しかし、どうもしっくりこない。
首を傾げつつ麺をすするが、おいしさをキャッチできない。

食べつつ結論する。
それほどのものではない。

と、汁が跳ねて、真新しいシャツに数滴のシミがついて、にじんで広がっていく。

不吉を覚え、そこで箸を置き店外に出た。
陰々滅々が伝染って、塞ぎこんでしまいそうだった。
おいしいと思えなかったのもそのせいかもしれなかった。

屋外の光を浴び熱気に触れやっと生気が回復してくる。
二度目はないだろう。

あの二人、きっと仲が悪いに違いない。


帰宅すると二男がソファでへたりこんでいる。
もはやグロッキー、というていだ。

高3から高2にキャプテンが変わって、新キャプテンは優しい先輩だが張り切っているからか、練習のハードさが増したという。

いいことではないか、と私は目を細める。

揃って夕飯の席につく。
商店街名店の手羽先、新潟カガヤキ農園のトウモロコシをふんだんに使ったサラダが続き、二男には手作りで焼かれたピザ、私には糖質制限麺でつくられたうどんが出される。

昼にラーメン食べたことなど、家内にはとても明かせない。

はくちょう座の向こう、地球から1400光年の彼方に、地球そっくりの惑星が見つかったそうだ、と二男に話す。

その星は岩石でできていて、濃く曇った大気をもち、どうやら火山活動も起きている。

太陽類似の恒星のまわりを385日で公転しているから、熱源からはちょうど程よい距離にあって、季節があって水もある可能性が高い。

年齢は60億歳だからその惑星ケプラー452bは、46億歳の地球のお兄さんみたいなものである。
そして60億年は、生命が誕生し進化の過程を辿るうえで十分な時間でもある。

まさに宇宙大、ギャラクシーに広がる暗闇のまっただ中、地球は独りではなかったのかもしれない。

向こうは、こっちに気付いているだろうか。


ネットニュースで、遺産分割にまつわる紛争が激増という産経新聞の記事が配信される。
タダなのにあれこれ配信してくれてたいへん重宝、産経新聞はなんて親切なのだろう。

バブルを経て経済的にシビアな価値観が浸透したせいか、このご時世、遺産についても貰えるものはもらおうという権利意識が当然のものとなりつつあるようだ。

だから身内なのに思惑の違いが表沙汰となり利害がぶつかり合うことが増えてくる。
遺言書があろうがなかろうが、そんなはずはないと骨肉の争いに発展するケースはいまや何ら珍しいことではない。

記事は次のように結ばれる。
法律でどうのこうのではなく、もめるときはもめる。
結局は、感情の問題であり、身内間の人間関係の良好さを日頃から保つ以外に対策はない。

夜9時を前に長男が帰宅した。
二男と比べ学校は遠く終わるのも遅い。
二男はとっくに食事も風呂も済ませ自室で勉強に取り掛かっている。

鍛錬として捉えれば、長男にとって益以外の何物でもない。
しかしそうであっても、親心、口にこそ出さないが労いの念が湧くのは抑え難い。


たった一人の兄と弟。

同じ父と母のもと生まれて相まみえたこと自体、不思議な巡り合わせとしか言いようがない。
一つ屋根の下、同じ場所で寝起きし、同じものを食べ、共有してきた時間は膨大だ。

ごつく分厚く、体格はますます近似しているが、性格は全く異なる。

二人がもし私と同じ33期で同級生にいれば、痛快パワフルな長男君も親切インディペンデントな二男君も私からすればともにアトラクティブ、お近づきになりたいと思える存在であっただろう。

だから当然、親心。
兄弟二人がいついつまでも仲良くあってほしいと思うのは、言うまでもないことである。

何もベタベタするようなことではなく、遠く離れていても互いが心の一隅を占める大事な存在であって、互いを唯一無二、奇跡の相棒として想って助け合おうとしてくれるのであれば思い残すことなど何もない。

もちろん、人生いろいろ。
この先も山あり谷あり。
女房を娶れば、男子とは異次元の観点から「家庭の世論」とも言うべきものが形成されることもある。

悪くすれば、男子二人の思いとは裏腹、女房二人が角突き合わせ、女の敵は女、家内まで巻き込まれて三つ巴といった事態が生じないとも限らない。
揉める基本形は普遍的、ここまでくれば骨肉の争いまであと一歩。

男子であるから、そこまで見越して、伴侶についても考えておくべきなのだろう。

難しいことではない。
揉める撃鉄を起こすメンタリティについては大体相場が決っている。

内面の掘り下げがない人は、価値観の立脚点が曖昧で足元が覚束ない。
豊穣は外側にあるものであって、だから外で打ち上げられる価値もどきに影響されやすく振り回される。
他者に先んじてそれを掴むため爪を伸ばして目を光らせている猛禽類。

そのような人と言えば、姿形が思い浮かぶだろう。

こういう人は十分に「足りて」いても、他者と比較し負けを発見しつづけ、あいつが悪い、こいつが悪いという悲嘆と難癖の無限ループに陥りやすく、周囲までズタズタにしていきかねない。

人に譲って喜んでもらえる方が嬉しい、そのような余力に恵まれ、そして、そのような幸せについて知る人と是非一緒に生きていってもらいたい。

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