1
墓参りを終える。
9時を過ぎ、生駒霊園内の交通量が俄に増大し始めた。
混み合う車列を横目にすいすいクルマを走らせ大阪方面へと阪奈道路を下っていく。
10:30開店の山口果物を目指す。
すでに日は高く空は晴れ渡っている。
であれば、かき氷であろう。
運転しつつ家内と幼かった頃の子らのアホ逸話を語り合う。
3歳なのに5歳と言い張った話、みかんと発音できずぷかんと言い続けていた話。
兄も弟も両方バカなのだと半ば諦めていた頃のエトセトラ、エトセトラ。
就学前の幼児教育が人的投資として非常に効果的だとの実証研究がある。
遺伝的要素の強い知能指数を高めはしないが、気概や我慢強さなどといった非認知的能力、その後の社会生活上威力を発揮する「性格の強さ」を形成するのに就学前教育が大きく寄与するという。
しかし、我が子については、幼児教育すらあり得ない話であった。
ひとつところにじっとしておらず、話は通じず、興味関心の的は、巨人に息吹きかけられた風見鶏のようにクルクルと回り続けるだけであった。
2
今でこそ笑える。
しかし当時はかなりやきもきしていたように思う。
特に家内はふと不安にかられるようなことが多かったようだ。
子の貧乏は親の責任。
さて、この子らについてはどう手を打ったものやら、その道を照らす灯火すら見出だせない日々であった。
ただ、子らはバカではあったが底抜けに元気だった。
まるで野放し、ゴリラの子を育てるように、虫を追いかけさせ、プールに浮かべ、ボールと戯れさせた。
子らに対する心配絶えない家内であったが、愛情は十分、一歩の距離から子らをずっと見守った。
いつしか、読み書き覚え物事を弁えるような兆候が見え始めた。
子らに文明のあけぼのが訪れたのは小学3年くらいであったのではないだろうか。
脳が小ぶりのまま先に頭蓋だけが大きくなった。
そして、頭蓋の容量が十分な大きさに達してから、脳が一気に人並みまで膨らんだ。
そのようなメカニズムなのだと考える他なかった。
3
懐かしの上六界隈に差し掛かる。
二男に言われかつて在籍した塾の前で一旦停止する。
お盆の朝、塾はすでに開いている。
合格体験記を貰うのだと二男は建物のなか姿を消した。
二男を待って、上町筋を北上する。
合否の消息不明な友人らの結果を二男がページを繰って確認していく。
それら友人らの結果を聞いて改めて思う。
入試とは厳しいものである。
見渡せば晴ればかりの結果ではない。
良き結果に至ったとしても、そこにはいくつもの不本意があり、どんでん返しがあった。
膨大な数の悪戦苦闘がそこにぎっしりと敷き詰まっている。
合格体験記はずしりと重い。
4
目的地に近づき人だかりが見える。
まさか。
まさか、かき氷食べるため朝っぱらからこんなに人が集まってくるものだろうか。
山口果物の前に差し掛かる。
開店前の入り口は、ヒトヒトヒトで埋め尽くされていた。
背筋が凍る。
これで十分であった。
退散。
日を改めることにする。
5
子供たちは夏休み。
特にお盆は日頃忙しい子供たちの予定が重複して空くことになる。
この日、私の妹の息子が我が家を訪れた。
我が家では長男がラグビー合宿で不在なので、二男が代表し弟分の面倒を見ることになる。
まずはガーデンズに繰り出しミッション・インポッシブルを見たという。
ジュラシック・ワールドは次の日の夜の席を予約。
ここで長男が合流することになる。
従兄弟の弟分からすれば、頼もしいお兄ちゃんに連れられての夏の行楽、楽しすぎて帰るときには物悲しいというくらいのものであろう。
6
長男、二男に従兄弟の弟分を入れてちょうど男3人。
スティーヴン・ダルドリー監督の「トラッシュ」に登場する少年3人の姿が思い浮かぶ。
映画の舞台はブラジル、リオ。
スラムに住む少年が三人が、それぞれの個性を発揮し力を合わせ、カナリヤ軍団の猛者みたいに果敢俊敏に動き、「正しい」ことを成す。
ブラジル社会に巣食う腐敗が明るみとなり、至るところでスラムの実態が垣間見える。
そこをタフでハードに渡り切る少年らの姿が痛快だ。
三人寄れば文殊の知恵。
映画みたいに男子三人、力を合わせ助け合い、永く変わらず仲良くしてもらいたい。
7
夜、妹の娘たちも合流し、公園で花火をする。
昨年、上の妹の子らが訪れた際は、ロケット花火などド派手にやって、パトカーが駆けつけるといったちょっとした騒ぎとなった。
今年は控えめ、ちょろちょろと火を散らす。
花火仲間が花火仲間を呼び、公園のあちこちでちょろちょろの花火が始まった。
春には花見で賑わう公園が、花火に照らされ別の顔を見せる。
8
安倍さんの戦後70年談話が発表された。
早速読んでみるがいくつか感傷的なフレーズがあって鼻白む。
私自身はまるっきり感傷的な人間である。
感傷が立ち上らせるような情緒を慈しんで毎日を過ごしているようなものである。
しかし、対外的な公式の文書においては、感傷は抑制するべきであろうと強く思う。
感傷が入ると、装飾過多な文章となりがちで、自己完結的で自己満足的、つまり、せいぜい内輪でしか通じない話となってしまいかねない。
そこに陶酔が見透かされれば、見事な修辞も単なる美辞麗句、見せかけだけの厚化粧にしか見えなくなってしまう。
要するに何?という弱作用の文章となり、それが嵩じて、だから何?という反作用を招きかねない。
それに談話全般に言えるのであるが、行間に含みがありすぎて言い訳がましく、持って回って詭弁であることの馬脚を敢えて露わすような文章となっている。
つまりは、本音は異なるとの含意があちこち透けて見えるようになっている。
筆の立つ名文家が書いたのであろうが、光にかざせばやたら目につく隠し絵だらけ。
それを我が国内閣総理大臣はご満悦、上出来だとチョイスし朗々読み上げたということなのだろうか。
一方、同日、小沢さんの談話も発表された。
過去を直視し謝るべきは謝り正すべきは正して依然引きずったままの戦後を過去に帰属させ、アメリカを頭上に戴き言われるがまますべてを曖昧にしてきたこの70年を検証し日本独自の民主主義を根付かせねばならない、といったような話であった。
国家としての日本の立ち位置が所詮はまだその辺りであり何が課題であるのか簡明に述べられていて、説得力あってたいへん分かりやすい。
どちらの肩を持つわけではないが、リーダーがすべき話には余計な飾りはない方がいい。