KORANIKATARU

子らに語る時々日記

父子で過ごした下町での一日


久々に西九条の大福湯を訪れたのはフィンランドが舞台の映画「旅人は夢を奏でる」のなかにサウナのシーンがあって二男が切望したからであった。

二男を引き連れクルマを走らせ夕刻下町の銭湯を訪れた。

こじんまりとしたサウナは程よい熱さ。
流れる音楽が子供じみたポップス過ぎて調子狂うが、それをさえ辛抱すれば、結構居心地いいサウナである。

数分経たず汗がドバドバと噴き出してくる。
体内くずぶる夾雑物がすべて排出されるような爽快を覚える。
今年の5月を最後にしばらく足が遠のいていたが、ここのサウナはやはりいい。

8分程度入って火照ったカラダをキンキンに冷えた水風呂に沈める。
全身がフレッシュに蘇生する、この感覚がたまらない。

それを3回繰り返す。

二男も満足している。
部活の練習で腰が張って仕方なかったがその疲労が和らいだ、と彼は言う。

冷房のよく効いた脱衣場の清涼な空気がとてもいい。
風呂あがりのさっぱり感が倍加する。


この土曜、日がな二男と過ごした。
長男ともかつては同じように過ごしたが、いかんせん彼は忙しすぎ最近はご無沙汰だ。

二男たっての希望で昼に野田の旭屋でラーメンを食べる。
去年の夏に二男と、今年の春に長男と食べて以来だ。

相変わらず人気を博しているようだ。
いつの間にやら、内装も小奇麗になっている。

隣に会社員4人組が座って、ここのラーメンを褒めそやしている。
ただでさえ美味いのに、それら言葉で更に美味しさが倍増となった。

二男とともに1.5盛をぺろり平らげた。


「旅人は夢を奏でる」のあと、二男とともに続けざま「ネブラスカ」を見る。
たまたま似たような設定、これまた父と子のロードムービーであった。
二男からすれば退屈な話でしかないはずなのに、2本ともダレずに最後まで鑑賞し、いい映画だったと感想まで述べていた。

父はどちらも老い、足を悪くしている。
その父を乗せ、遠路はるばる出かけることになる。
運転させられる息子からすれば時間的にも経済的にも無駄な行為であって、父は厄介なお荷物でしかない。

このような構成が両作に共通している。

クルマに乗って二人きりで旅をするのであるから息子は父に近接し向き合わざるを得ず、だからこそ旅の過程でサイドストーリーとしての父の歴史と内奥が徐々に垣間見えてくる。
それにつれ物語は「お荷物を運ぶ厄介事」から「父という人物との交流」へとその色合いを少しずつ変えていく。

そしてそれは息子のなかにあった空白が埋まっていくプロセスでもあった。
行動を共にしやがて息子は父が持つ男子としての本懐や子への思いを知ることになる。

その老いた人は、厄介なお荷物などではなかった。
父なのだった。

旅を通じ、息子はその唯一性を肌で実感したにちがいなく、深い愛情と尊重の念を抱くに至る。
そうそう、その人は唯一無二の父なのだ。

日常に紛れおざなりとなっている父との関係について省みるいいきっかけとなる映画だろう。

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