KORANIKATARU

子らに語る時々日記

大阪星光学院、縦に66層連なる壮大な景観


朝5時、事務所に向かうためクルマを走らせる。
明けの明星と新月一歩手前の有明月が東の空に並んで輝いている。

KissFMからは八代亜紀。
「おんな港町、どうしてこんなに夜明けが早いのさ」と八代亜紀が歌う。
昭和52年大晦日、紅白のトリを飾った名曲だ。

雨の慕情、舟唄と続く。
徐々に空が白み始めていく。

くっきり明瞭な光を放っていた金星と月が、南へと高度を上げつつも存在感を控え目にし周囲の明度に溶け込んでいく。


昨日の日記に追記が必要である。
大阪星光33期について書くのであれば、八木くんから聞いたこの話は必ず記されなければならない。

日本海海洋資源フォーラムの会場に八木くんもいたのだという。
私は大阪に戻らねばならなかったため途中退席したが、八木くんは最後まで会場に残った。

講演終了後、定光くんは記者らに囲まれた。
八木くんは記者ではなく医者だが、その輪に加わった。
そして、やあ、と定光くんに声をかけた。

定光くんは忙しい身、急ぎ東京に戻らねばならなかった。
時間はゆっくり取れなかったけれど、二人並んで新幹線の改札まで歩いた。
まるで学校が終わって一緒に帰っているみたいであった。
昔と変わらぬ慣れ親しんだ調子で互いの近況について会話が交わされ、二人は手を振って別れた。


33期では70人以上が医者になるなど強者ひしめく星光の理系であるが、八木くんと言えば、そのなかのブッチギリであった。
京大医学部に現役で3人ほど入ったなかの1人である。
そして、さすがにブッチギリだけあって、医者で十分ではないかと周囲は思うが、人生まだまだこれからだと弁護士稼業にもその食指を動かしている。

ブッチギリと言えば図抜けた一人を指す語だが、このようなブッチギリが何十人もいるのが星光であって、その背を間近に、まさに寝起きをともにし学び成長できるというのがこの学校の最大の特質であろう。

そして、決して大言吐くことのない伸び代大きい善良な男子らは、いよいよ本番、世に出て仕事に就いてから本領を発揮し始める。
地の塩、世の光という言葉は学校生活を通じ内面化されている。

一隅を照らす者として浮足立つことなくでしゃばることなく地道コツコツ、各自が出合った仕事の領野で研鑽を積んでいく。
やがてその仕事は必ずその世界において最上質の域に達する。

いまや年月積もり積もって、星光DNAを引き継ぐ者は66期の層を成すまでになった。

33期のみ捉えても魅力あふれる人材の宝庫。
これが現時点で縦に66層連なるのであるから、人は石垣、人は城、壮大な景観だ。

ここ数年星光において同窓会活動を盛んにしようとする動きが積極化しているのも、いよいよ、人数の集積が立体感帯びるほどの規模となってきたからであろう。

横糸でつながるだけでなく、縦糸でもびっしと連なるような豊穣な一世界が形作られていくことになる。

そこに属すことは、喜ばしいことであるに違いない。
ある種の家族、魅力たっぷりな心優しい先輩らが援軍となる。

西大和もいいけれど、大阪星光もやはりいい。
おいでやす、である。

f:id:otatakamori:20150911082710j:plain