KORANIKATARU

子らに語る時々日記

一番いいときがやってくるという確信と手応えに満ちたような時期


頭痛が止まず天王寺へ向かう。
田中内科クリニックにて助けを求める。

クスリを処方してもらい数分後には楽になった。

道すがら喜久屋書店に寄る。
頭痛おしてまで仕事に励むことはない。
予定のアポをこなしあとは本でも読んで安静に過ごすこととしよう。

橋本治氏の「いつまでも若いと思うなよ」が新刊コーナーに並んでいる。

遠い昔のこと。
小川くんが言った。
橋本治は天才だよ」

それでその名を知って私も読み始めることになった。
早稲田に入って最も得した情報がそれであったかもしれない。

その後、小川くんがイラクで殺害されたとニュースで知ることになる。

もう少し寝ていようと朝の寝床でテレビだけつけていたときのことだった。
ただならぬニュースが伝えられ、聴き馴染んだような名が聞こえた。

疎遠ではあったが、いま聞こえてきたのは知った名であり顔もありありと浮かぶ。
慌てて起き上がり、私はテレビにかじりついた。

2004年5月のことだった。
そのとき私の長男は3歳で二男が1歳、可愛い盛り、私自身だって誰だって人生これから、一番いいときがやってくるという確信と手応えに満ちたような時期であるはずだった。

当時のイラクがどのようなものであったのかは想像の域を出ない。
その後制作されたいくつかの映画、例えばアメリカンスナイパーやハート・ロッカー、ルートアイリッシュなどで、その片鱗のようなものに触れることができるだけであるが、虚無を覚えるほどに人が人が殺戮をする酷たらしい世界であったのは確かなようだ。
そこに崇高な役割があったにせよ、その無念を思うといまでも胸が詰まる。


以来、橋本治という作家の名を目にすれば、これら一連の思い出がひとめぐり頭を過ぎていくことになった。
もちろん手に取りその天才ぶりから多くを学ぶ。

2004年から11年が過ぎ、この間も橋本治は多作であり続けた。
そのさしもの天才もいよいよ老境に差し掛かったのだろうか。
過剰とも言えるほどに実り豊かな思考と感性の出力が潮が引くみたいに徐々に徐々に静まっていくのだと思うと寂しい気がしないでもない。
が、振り返れば並の数ではない作品群がいまも褪せずに存在感を放っている。

偉業だというしかないだろう。
橋本治は怪物だよ」、小川くんならそう言うであろう。

摂津本山で仕事を終えて、阪神電車の駅まで歩く。
三宮であればJRから阪神までは数歩の距離、六甲道あたりならボールを投げて届くような距離、しかし、摂津本山から青木までは踏破したと充実感覚えるほどの距離となる。

青木駅のホームのベンチで普通電車を待ちつつ「いつまでも若いと思うなよ」を読み終えた。
秋にしては日差しが強く線路が眩しいくらいの光を照り返している。
その分いっそう、日陰となるホームの安らぎ感が際立つ。
橋本治という作家に対し心からお疲れ様という念が湧いてくる。


夕刻、長男の学校での用事を終えて家内が事務所に顔を出した。
買い物してから一緒にクルマで家に帰る。

頭痛はすっかり治まっている。

自宅にクルマを停めているとちょうど子らも帰ってきた。
わしお耳鼻咽喉科が家から近い。

家内が促し、二男がインフルエンザの予防接種に出かけ、引き続き食事を終えた長男も予防接種に出かけた。
兄弟二人、鷲尾先生の言うことなら何でも聞く。
子らが信頼寄せることのできる先生が近所にあって喜ばしい。

2004年から11年。
ここまで何とか一年一年無事に過ぎてきた。
やがて終わりのときが訪れるにせよ、それまではしっかりと一生懸命生きていきたい、素直にそう思う。

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