街の南側を走る沿線の駅で降り、家を目指し北へ向かってひたすら歩く。
地元の駅が見えてくる。
そばにスタバがある。
通りかかってふとなかを見ると二男がいた。
何か一心に取り組んでいるようである。
邪魔せぬようその姿をそっと目に収めてそこを過ぎる。
家に着いて玄関で着替えスタンバイオッケー。
今日もジョグ。
「もう少し上に跳ねるような動きを取り入れたほうがいい」。
主将の助言を聞き流しつつ走る。
目的地は上にはない。
跳ねるよりは前に足を出す。
その方が理に適っている。
わたしの確信は揺らがない。
このところ数日走って知った。
走ることは心地いい。
仕事後のあれやこれやが走ればほぐれて、翌日も心身がしゃんと立つ。
それでも独りであればとてもではないが続かないだろう。
暗く寒く夜道は寂しい。
仕事後まで精出す気力は独力で湧くものではない。
しかし連れ立ってであればこれは是非とも参加すべきこと、必ずあった方がいい貴重な時間に思える。
いつか先々、並走したシーンはじんわりと胸のうち様々な思いとともに蘇ることであろう。
走り終えバブ・メディケイテッドを入れた湯につかって風呂を済ませる。
食事の用意が整う迄のあいだ、ここ数日の新聞などを広げ二男と恒例の新聞談義。
天声人語にあった太陽系九番目の惑星について話し合う。
質量が地球の10倍。
どでかい惑星が太陽から900億キロも離れた最外縁部の軌道を周っている。
あまりに遠くにあるため太陽を公転するのに一万年から二万年を要するのだという。
二人して、その惑星、プラネットナインについて思い巡らせる。
日常のニュースで近眼となっているところに、果てしもなくスケールの大きな話が織り交ざって、小さな頭に風穴が開くかのよう。
呆けたように、遥か彼方に在るのであろうプラネットナインの地表に男子二人ならんで立ちその風に吹かれる様を想像する。
夜の食卓。
わたしにとってすべての用事から解放される放課後のような時間と言える。
課題に取り組む二男とテーブルをはさんでわたしは本を読む。
二男がチーズとクラッカーを用意してくれる。
この夜、手にした本は「佐藤オオキのスピード仕事術」。
新聞にでかでかと本書の広告があった。
著者はカナダトロント生まれ、早稲田大学理工学部建築学科首席卒業。
なぜだか親近感が湧いてその日すぐ本屋で入手した。
うちの長男が現在トロント近郊の街に滞在している。
早稲田建築首席卒業と言えば、大阪星光同級生の大河内くんもそうである。
それに加えて建築学科は土木学科とともにわたしが属していた工業経営学科と語学などのクラスが同じ。
ひとり勝手に親近感をいだき、わたしは本書に引き寄せられたのであった。
そして、本書がこの夜、二男との会話を大いに盛り上げるのに一役買うことになった。
巻頭に筆者がデザイナーとして手がけた作品の写真が数々掲載されている。
それぞれについて、そのアウトプットに至るまでの思考のプロセスが描かれるのであるが、その発想に至る着眼から仮説の展開という導出の過程があまりに面白く、スリリングな謎解きの場面に居合わせるかのような知的興奮を誘って止まない。
いつしかわたしはトピックごと二男に問いかけることになった。
「筆者はこの難題をどのように解決したのでしょうか」。
まるでお茶の間版、世界ふしぎ発見。
とても楽しく有意義な時間を過ごすことができた。
その他、記述自体にパワーとスピード感があって読む者を掴んで離さず、仕事術としても、問題の分解の仕方や時間の捉え方、顧客に即応する姿勢、そして仕事を司る者としての度胸など、学ぶところ満載であった。
わたしはキツツキのごとく終始頷かされぱなしであった。
長男にも読ませたいと思って、すぐに西大和の教育講演会にぜひとも招くべき人物ではないかと思い当たる。
わたしのような中年よりも、十代の若人の方がはるかに多くを学び刺激受け糧を得るに違いない。
最後に蛇足であるが、靴の展示の課題については、我が家の主将が著者に類似のかなりいい線いく発想をしていた。
さすが主将と賛辞を贈りたい。