業務が押して帰りが遅くなった。
凍てつく寒さの神戸を歩きそこらで食べて帰ろうと思ったが、結局、地元に戻って定番の店に落ち着いた。
隣席が勤め人風の一人客だった。
日中、別の世界を生き、そして夜の同時刻、こうして同じ場所にたどり着く。
そんな見知らぬ人を横目にして考えた。
もし若い頃に戻って、人生をやり直せるとしたらどんな仕事をするだろう。
勤め人は?
思い浮かべただけで忌避感のようなものが込み上がった。
あり得ない。
何をどう考えたところで、結局はいまの仕事に行き着いた。
不思議なものである。
狙ってたどり着いた訳ではなく、もみくちゃになるうち気づけばこうなった。
それが、いちばんしっくりくる。
もし若い頃のわたしに話しかける機会があれば、これがいいよ、と教えてあげたいくらいである。
では、と飲みつつ設問を変えた。
いまの仕事が行き詰まり、何か他のことで生計を立てねばならなくなれば?
何か他にできることがあるだろうか。
すぐに気づいた。
何もない。
では勤めにでも出るか。
拒絶感が込み上がるから、あり得ない。
結局、またもやいまの仕事に行き着いた。
行き詰まるにせよ、うまく工夫すれば立つ瀬があるに違いない。
アプローチを変え、役柄を変えるなどして別の装いになるにせよ、実はいまと違わぬ仕事に携わることになるだろう。
それで、なるほどと合点がいった。
わたしは他の何かになれるはずがなく、こうでしかあり得ないのだった。
わたしの中の何かが首尾一貫し、こうでしかあり得ない「役割」へと導いた。
つまり、そもそものはじめからわたしの中の本質が若きわたしに小さな声で囁いていたということになる。
そうとしか思えない。
だから、わたしが表層で何を意思しようが、どんな道を進もうが、またどこでどんな職名を与えられようが、いま果たす役割へとたどり着くしかなかったのだろうと思われる。
であれば、わたしがたどり着いたいまのこの仕事が、わたしの何たるかを丸ごと映し出しているとも言えるだろう。
こうでしかあり得ないのであるから、今後も同じ。
この一本道を更にまっすぐ突き進むだけのことである。
あらゆるものを取り入れて、わたしはこの道一筋、すべてを捧げるしかないのだった。