尼崎で乗り換える。
まもなく新快速がホームに入ってきた。
乗るのを躊躇うほどに混んでいる。
わたし一人であれば普通電車を選んだであろう。
その方がはるかに空いている。
しかし同行者があった。
時間はかかってもゆったりと座れる方がいい、そのような非合理の理について聞き入れてくれるはずがない。
電車に乗るのが目的ではない。
そう一笑に付されるのがおちであろう。
仕方ないのでカラダを押し入れる。
肉弾戦に立ち向かっていくような勇気を振り絞らねばならなかった。
幸い、つり革をつかめた。
そこを支点に踏ん張り続ける時間が始まった。
子らの友人のうち何人かは阪神間から京都の学校へと通っている。
通学が結構たいへんであると耳にはしていたが、実際に味わってはじめてその労苦を知った。
学校を選ぶ際には必ず親も一度はその通学路のラッシュを実地で体験してみるべきだろう。
大阪駅で大勢が降り大勢が乗って来た。
車内が撹拌されるかのような混乱に乗じ、わたしは席にありつけ、同行者も席にありつけた。
遠く離れ離れとなったが、座れるだけで僥倖なことであった。
京都を過ぎ、山科で降りて同じホームでしばし待ち湖西線に乗る。
数駅経て比叡山坂本駅に到着した。
空は雲に覆われ、風が冷たい。
日曜なのに人影は少なく、ここが観光地であるとはにわかには信じがたい。
ケーブル坂本駅は10分ほど歩いた場所にあった。
なかなか趣き深い造作の駅である。
国の登録有形文化財であるということだ。
驛舎の前で記念撮影する人が絶えない。
多くはここまでバスやクルマでやってきているようであった。
琵琶湖を一望のもと見下ろしながら二千メートルを運ばれる。
この距離はケーブル鉄道として日本一だそうである。
延暦寺に足を踏み入れる。
そこはまさしく異界であった。
夫婦揃って気圧されるような荘厳を感じ顔を見合わせた。
はるばるやってきて良かった、互いの感想は共通していた。
日本史上屈指の天才であった最澄について思いながら順々にお参りし香を供え鐘をつき、世界の平和と人類の幸福を祈って、そして家内安全、無病息災、子らの学業成就を願った。
ひとつの寺院で二時間も過ごすなど初めてのことであった。
比叡山延暦寺はそれほどまでにスケールの大きな場所であった。
ケーブルで下山し、やっとのこと昼食をとる。
もちろん向かうは、鶴喜そば本店。
半時間ほど並んで席に通された。
ビールで乾杯し、そばをすする。
腰があって、香り高い。
かなり上等な部類のそばである。
何枚でも喉を通りそうだが、同行者にいさめられる。
いささか消化不良気味、もっと食べたかったという若干の悔いが、わたしを再度この地へと呼び戻すことになるだろう。
帰途、阪神百貨店で夕飯の買い物をし家で食卓を囲む。
平和で平穏な日曜日となった。