KORANIKATARU

子らに語る時々日記

三方よしがしあわせの秘訣

昨年同様、春分の日は仕事。

始発に乗って事務所に向かった。


祝日に仕事するからと言って嫌な気持ちになることはない。

むしろじっくり腰を据えて仕事に向き合えるから好ましい。

平日より士気が高まる。


そして、仕事が片付けば手と手を合わせて幸せ。

それでご飯が食べていける。


そう思うからさっさと取りかかりたくて仕方がなく、まだ暗いうちに目が覚めることになる。


根を詰めて数時間、無事仕事に目鼻がついた。


うまく作業が捗るだろうか。

そんな風に不安がよぎって心が揺れるのは出だしだけ。


離陸してしまえば自然と一心不乱になって、時を忘れ、かかっている音楽のことも意識から遠ざかり業務にだけ面と向かうことになる。


昼過ぎになって、ほぼ仕上がった。

これで自由。

満足感が胸に満ちた。


強度ある仕事をこなせる限り現役バリバリ。

わたしはまだまだ発展途上でピークはもっと先にある。

中年なのにそんな希望に溢れたような心境になるのだからやはり仕事は素晴らしい。


だから家内と昼を食べるとき多弁になった。


今年、大阪星光の進学実績は見るも無残。

ここ40年を見渡してもここまでの結果になることはなかった。


もちろん結果がどうあれうちの暮らしに影響は全くない。

ではあるが、心境としては別棟の住処の固定資産評価が急落するようなものと言えるだろう。


値下がり額、半端ないっすね。

含み笑いするかのようにもし誰かにそんな風に言われたら、ほんの少しであれ心に波風立つことだろう。

だからまったくの無関心ではいられない。


で、その一方、次の学年に当たる66期はそんな数字はどこ吹く風と受け止めているようだ。


運動部の連中に聞いても文化部の者の声に耳を傾けても感想はたった一言。

あいつらアホやから。

辛辣だが端的。

原因は単純。

それ以上でも以下でもない。


後輩という立場でみて64期は優秀で良い兄貴分たちだった。

が、65期はいわくつき。

そんな話であっさり片付け頭を切り替え、自分たちはしっかり頑張ろうと思うようである。


星光は学年によって別の学校も同然。

これは当の学校の先生も認めるところである。


塾などで星光さんはと一括りに扱って語られるが、学力や雰囲気についてはどの期の話なのか分けて言うのでなければ正確さに欠けるというものだろう。


それでも職業者として善を内蔵する集団であることは変わらない。

そこは一様。

仕事し始めたとき、やんちゃな65期の魅力が良い方向に遺憾なく発揮されることだろう。


食後、家内は美容室に向かい、わたしはジムでトレーニングに励んだ。


窓全面に好天の春の光を感じつつ、吹き込む涼風に心を慰撫され癒されて祝日を存分に満喫する時間となった。


サウナを出ての帰途、コンビニでビールを買った。

今日も一日よく頑張った。

青く澄んでまだ明るい空を仰ぎつつ自身をねぎらい、ぶらり歩いてゴクリと飲んだ。


ここがこの日のクライマックス。


舞台は路上。

主演がわたしで監督もわたし、そして観客もわたしひとり。


凡庸極まりない図であるが、三方よしの調和が保たれているからだろう、喜びが湧いて出る。


タイトルにすれば、ボチボチでええやんか、になるだろうか。

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2020年3月20日 息子の朝食 カレー蕎麦と弁当

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2020年3月20日昼 長堀橋 食堂RUTA

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昔の3月20日 2016年 比叡山延暦寺と鶴キそば本店

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昔の3月20日 2015年 卒業式の日 息子からの手紙