前夜、肉を食べ過ぎた。
五十代のわたしたち二人は朝になっても空腹を覚えなかった。
とてもではないが食べられない。
朝食を見送らざるを得なかった。
一方、若き二十代の二人は、目覚めると同時にビュッフェに向かった。
それぞれたっぷり食べたという。
この二人の食事の世話を担ってきた家内の凄さを改めてわたしは理解した。
そして食後、各自が自らに課すルーティーンに取り掛かった。
向かう先は同じでフィットネスであり、そこでめいめいがカラダをとことん追い込んだ。
心配された天気は回復し、初日の晴天とまでは行かずとも、時おり晴れ間も差してジムの後、プールを楽しむことができた。
ホテルステイを十分に満喫し、午後二時に迎えのタクシーがやってきたところで切り上げた。
ほんとうにいいホテルだった。
息子らにとっていい経験になったに違いなかった。
スタッフの方々にお礼を述べて、ホテルを後にした。
ホテルのコンシェルジュに「ここは必ず」と勧められたキングタコス本店に途中立ち寄り、ここでもまた息子たちは、タコライスやタコスを追加してたらふく食べた。
周囲を見回しても、これほど食べる客など皆無だった。
長く待たせたことを運転手に詫び、続いて那覇に向かった。
どちらかと言えば町並みが韓国や台湾に近く本土とまったく異なっている。
遠い地を旅しているのだとの実感が湧き、このとき体内の旅行細胞が最も活気づき、旅に伴う覚醒の度がピークに達したように思えた。
那覇では国際通りをしばらくぶらついた。
みやげものなど選んで、ホテルステイとは異なる旅情にひたって過ごした。
貴重な瞬間瞬間が共有でき、各自の存在が各自の中に深く入り込む。
つまり、旅を通じて、家族が更に家族になっていく。
折々旅行することは、やはり家族にとって欠かせない、そう思った。
国際通りの端に県庁があり、そこでタクシーが待ってくれていた。
いよいよ帰途に就く時間になろうとしていた。
空港に着いたとき、息子らが沖縄そばを食べたいと言った。
手早くチェックインを済ませ、そばを食べながら旅の反省会をしようと言ってすぐ、わたしたちの飛行機が欠航になったと知って青ざめた。
息子らの羽田行きに問題はなかったが、わたしたちの神戸行きが運行取りやめになっていた。
慌てて代替を探し、幸い関空行きの残席があって事なきを得た。
もし空港到着がもう少し遅れていたら残席はなく、翌日も欠航が相次いで飛ぶ飛行機があったとしても予約は至難であろうから、下手すればあと二日ほどの滞在を余儀なくされたかもしれなかった。
ああ帰ることができる。
わたしたち夫婦はほっと胸を撫で下ろした。
しかしこのとき、わたしたちの後ろに座るベイビーが癇癪を起こしたように終始激しく泣き続けるなど知るよしもなかった。
関空行きの飛行機の時間が迫っていて、旅の反省会は中止せざるを得なかった。
その場で皆で握手して、来月の再会を誓い合った。
真後ろで泣き叫ぶ赤ちゃんの声を耳元で聴きながら、台風と同様、これもまた自然現象のようなものであり、台風が真後ろに来るよりははるかにマシなことだろうとわたしが言うと、うちの息子らが赤ちゃんだった頃よりはるかにマシと家内が言ったので、はっはっはと夫婦で笑った。
関空で降りJRに乗り快速が天王寺を過ぎたとき、無事、息子らを乗せた飛行機が羽田に着陸したと分かった。
おつかれ、と家内がそれぞれにメッセージを送り、わたしたちは地元の駅に11時過ぎに着き、空腹であったから駅前の焼鳥屋に寄ってビールを飲んで互いの旅の疲れをねぎらった。