KORANIKATARU

子らに語る時々日記

誰もバカではないし、アホウでもない。

朝五時過ぎ、事務所近くの牛丼屋に入る。
この界隈の朝は早く未明の時間帯であっても客足は絶えない。

朝六時になれば二人体制となるが、それまではたった一人の店員が給仕から調理、後片付けまですべてをこなす。
客が増えてくればてんやわんやとなる。

息つく暇もないとはまさにこのような状況を言う。
カオス寸前の渦中で必死に格闘する彼らの様子を目にすれば、少しいたたまれないような思いを覚えなくもない。

しかし、彼らの大奮闘があるお陰でこの時間からタダみたいな値段で温かい食事にありつける。
何一ついたわることはできないけれど、間違いなく感謝すべき対象である。

この朝、懸命に働く店員は、少し様子の異なる雰囲気の青年であった。

声は大きく元気であるが、少し調子外れで声が大きすぎるきらいがある。
朝食メニューについてする説明も、丁寧なようでいて、くどくまどろっこしく、耳に障る。

そして、一つ一つの動きがギクシャクしていてテンポが悪い。

だから当然、朝食が出てくるのに時間がかかる。
わたしなど注文を忘れられたのではという疑念に苛まれるくらい、無為な時間を長く過ごさねばならなかった。

わたしの朝定食がやっとのこと運ばれてきたちょうどそのとき、常連さんがやってきた。

近くの駅の職員だ。
制服を着ていることがあるので鉄道職員であることは間違いない。

彼は決まって牛丼並盛りをつゆだくで注文する。
この世の喜びのすべてがそこに集約されているかのよう、目を輝かせて牛丼をかきこむ小太りでまん丸童顔のこの中年のことは、一度見れば忘れない。
キン肉マンよりも美味そうに牛丼を食べることのできる男がいるとしたら、彼をおいて他にない。

名付けて、牛鉄。
牛丼を愛する鉄道職員を略せばこうなる。
彼のふっくら体型と丸顔は、着ぐるみなくとも、ゆるキャラとして十分通用する域にある。

いつもとは異なり、しばらくたっても、牛鉄には水も出されず注文伺いもない。

ぽつんと座って当初待ち遠しいような表情であった牛鉄の顔は徐々に曇って「素」の様相を呈してきた。
牛丼屋ではキラキラ夢の笑顔をふりまく彼も、きっと職場ではこのような顔をしているのであろう。
結構おっかない。

待てど暮らせど牛鉄は店員に気付かれることがない。
当初は面白がって見ていたわたしであるが、いよいよ牛鉄の異変を察知し身構えることになった。

ゆるキャラ牛鉄の顔が紅潮しはじめ、表情がヒール役のそれへと変貌した。
牛鉄は、他の客に給仕する店員の背に向かって吠えた。

おい、遅えよ、バカか。
水くらい出せよ。

店員はビックリしたのか咳込んだ。
マスクをしていないので結構な飛沫が散ったに違いない。
上半身を反転させて、牛鉄に向き直る。

相手は怒っている。
そう気づいて店員は平に謝り、大慌てで調理場へと駈けて水を持ってくる。

平身低頭し水を差し出すが、牛鉄に舌打ちされて、またすいませんと店員は謝らなければならなかった。

店内に5,6人はいた客らがその様子を注視している。
おいおい、この店員にそれを言うか。
間違いなく、批判混じりの視線であった。

どう見ても牛鉄の旗色は悪い。
怒り収まらぬといった形相であった牛鉄の表情がバツの悪そうなものへと変わっていった。

もし牛鉄が血相そのままに店員をどやし続けていたら、他の客らが黙ってはいなかったであろう。
多分、わたしも牛鉄をたしなめた。

世は春も盛り、桜が咲き始め、光に満ちて、新たな出会いの季節を迎えようとしている。

もっとおおらか、まろやかにいこうではないか。

誰もバカではないし、アホウでもない。
ほんの少しでいいから、優しい気持ちになった方がいい。

ゆるキャラくらいで過ごすのがちょうどよく、その方が自分も楽だし相手も楽だ。

わたしは食べ終わって、ありがとう、と店員に言い店を出た。
時間差がずいぶんあって、ありがとうございました、またのお越しをお待ちしております、というぎこちないような大声が背後から聞こえた。

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