朝は雑煮。
鶏ガラからとった出汁にコクがあって白味噌とよく合い、その相乗効果で美味しさに深みが生まれる。
野菜もたっぷり入って味わい広がり、カラダにも優しい。
正月の家内定番の一品であり、将来息子らにとって郷里の味になることは間違いない。
うちの母が作る牛肉とワカメのスープ、家内の母親が作る切り餅入りの鶏ガラスープと合わせ息子らにとって心の真芯に位置する三種のスープと言えるだろう。
いつもよりゆっくり目に朝を過ごし、墓参りに出た。
阪神高速を一路東へひた走る。
家族4人でクルマに乗るなどほんとうに久しぶりのことだった。
小一時間で生駒霊園に到着。
墓前に向かうと既に父と母の姿があった。
5分でも時間が前後すれば会うこともすれ違うこともなかっただろう。
だから奇遇と言えた。
前日に縁を切られたばかりであったが、まあまあと先祖が取りなし引き合わせてくれた。
そう考えるのが最も正しいのだろう。
やはり切って切れるものではない。
墓で静謐な思いにあるとき、感情に波風は生じない。
空晴れ渡り、日差し柔らかく冷気もない。
気持ち穏やか、年齢順で先祖に手を合わせ各自向こうと交流の時間を持った。
霊園にて別れ、続いて八尾へとクルマを走らせた。
家のご飯がとても美味しい。
長男がそう話し、二男も同意し、わたしも家内に賛辞を送って、事のついでわたしの行動指針のようなものを息子らに語ることになった。
わたしが家内を守る者であること。
一生そうであること。
ハンドル握りつつわたしは息子らに熱弁を奮った。
家内に敵あれば同時にそれはわたしの敵であり、家内を不快で嫌な思いにさせる者があればそれはわたしにとって駆除退治の対象になる。
最初からそう思っていた訳ではない。
腹を決めるまでにはそれなりのいきさつがあった。
幸せにすると約束し結婚したものの、当初は見解の相違あれば意見を戦わせ喧嘩になることも少なくなかった。
しかし、あるとき気づいた。
相手のパンチはわたしにとって実は痛くも痒くもない。
それがパンチだと思い込みわたしは過剰反応していただけだった。
一方でわたしのパンチは相当に重く鋭く破壊的。
モスキート級とヘビー級くらいに「腕力」に差があるのに打ち合うなどあってはならないことだった。
パンチは家内に向けるのではなく、外に向けるもの。
以来、それがわたしの原則となった。
つまり、わたしは自身の責任についてまるでノロマな恐竜みたい、ずいぶんと時間が経った後で悟ったのだった。
話しているうちあっという間に八尾に到着した。
家内の実家を訪れたのは一年ぶり、家内の両親の顔を見るのも一年ぶりだった。
一年ぶりだと照れというか気まずさを多少感じるが、息子らがいるから場がなごんだ。
家内の母親が作る手料理が相変わらず絶品で、家内の父親が炭を起こし振る舞ってくれる焼肉も昔なつかしの味でとても美味しかった。
子らが小さかった頃にはしばしば訪れこうして食事をご馳走になったが、いつしか足が遠のいた。
先方からすればわたしなど取っ付き難い偏屈男であり、取り扱い難い強面の者。
そうと分かるから気を遣わせ労をとってもらうなど気が引ける。
わたしやうちの息子らのことなど気にすることなく家内だけを大事にしてくれれば、それで十分ありがたい。
なぜなら、家内は嫁に行ったにせよお二方からすれば実の娘。
娘には優しく接してもらいたい。
そう伝えたかったが、さりげない会話のなか思いを伝えることは難しい。
奥深くでは通じるはずのことも、表層ではノイズ混ざって肝心の内容が要所でないところで変質し捻じ曲がる。
令和二年二日目。
わたしは、まだまだ未熟者。
一年先の宿題が残った。