朝はリビング、途中から自室で息子が学校のオンライン授業を受け、わたしたちは彼の勉強の様子を見守りつつ邪魔をせぬよう家で静かに過ごした。
昼を過ぎ息子が勉強場所へと出かけ、各自の一日が始まった。
急を要する仕事が幾つかあったのでわたしは事務所に入って仕事をし、一方、家内は掃除やら洗濯といった家事に勤しんだ。
夕刻帰宅し家内の手料理で夕飯を済ませ、わたしは長男に送るための本を再読し二男に読ませる新聞記事をチョイスして、家内はずっとキッチンに立って長男と二男のための料理の仕込みに精を出した。
息子が不在でも結局わたしたち夫婦にとっては息子のことが最優先で息子が関心の中心。
好き勝手遊ばずとも楽しい。
そんな境地が生まれるメカニズムをわたしたちは子を授かって知ることになったのだった。
息子にとってプラスになる。
そう思えば土日だって真面目に過ごすことができる。
家内など筋金入り。
振り返れば、子の世話ばかりする結婚生活であり家内が我が事を楽しめるようになったのは、いい加減子も大きくなったごく最近のことに過ぎない。
長男が東京に行っても家内は寂しいと思うことはなかった。
長男のためにしてあげられることはすべてやり切ったし、彼は新天地で充実の学生生活を送る。
彼の喜びを思えば寂しいといった感情など出る幕もなかった。
そしてまもなく二男もそうなる。
息子らの喜びを胸に、家内はいよいよ解き放たれることになる。
子らのことが依然として最優先であっても、もう手がかからないからようやくのこと我が事を優先できるようになる。
子らが巣立って、家内も巣立ちわたしも巣立つ。
人生後半戦開始の節目がそのような形で訪れることになる。
前半戦以上に充実したものになることだろう。