朝も夜も助手席には長男。
日曜は一日中彼と二人で過ごした。
夜、家内が作る麻婆豆腐と手羽元でわたしはビールを飲み、息子は麻婆丼を食べる。
明けて朝。
わたしはゆっくり目の出発。
朝食は2種のベーグルサンドとハムエッグにバナナ入ヨーグルト。
ドリンクは特製梅ジュース。
息子らと一緒に食べその背を見送ってからわたしは出勤した。
男子3人が携える弁当は多彩な具が散りばめられたお好み焼き。
お盆休み目前だからだろう。
週のはじまりの月曜でさえのどかに感じられる。
ゆったり気分で午前の仕事を済ませ、午後から面談業務に入り、さあこれから田中内科クリニックに向かおうというところ。
届いたメールを見て言葉を失った。
訃報だった。
長く会っていないから、どう感じていいのか分からない。
漠とした面影だけが浮かんで、やはり何をどう思っていいのか分からない。
まだ迎えのくる歳ではない。
そう思っているが、早い遅いなど知れたものではなく、例外なくいずれ誰もが訃報に名を記される。
しょんぼりとした気分だったからだろうか。
目に映る日常の些細なシーンがいつもより長く目に留まる。
しかし、押し戻しようもなくそれらすべてが跡形もなく消えて無くなっていく。
浮かんでは消える景色を前にするうち、当たり前のように過ごす一瞬一瞬が、とても愛おしいものに思えてきた。
ここ数日の場面を思い返す。
すべてのディテールが愛おしい。
無が有となって無に還っていく。
有となる意義はそこらにあるのかもしれない。
回転のいい駅前の蕎麦屋といったイメージが浮かぶ。
無名の客人として蕎麦をかき込み食べ終えれば店を後にする。