朝8時前には家を出た。
雲ひとつなく、空には昇り始めたばかりの太陽の姿だけがあった。
風は冷たいが、この分で行くとまもなく太陽の独壇場になるに違いなかった。
遮るものなく陽の光が降り注ぎ、昼には汗ばむ陽気に恵まれることだろう。
それでも冷え込む朝であったから、清荒神を訪れる参拝客はちらほらといった程度だった。
本殿を皮切りに各境内をぐるりと回って清荒神を後にして、引き続き門戸厄神へと向かった。
途中、関学を正面に見据える道に入った。
ちょうど大学入試の日であったようで、多くの受験生が正門へと向け列を成し歩いていた。
その列を横目にし、わたしたちはうちの息子たちが受験で東京へと赴いたときのことを思い出していた。
あのときの緊迫感はいまもつきまとってときどき心の浅瀬へと浮上する。
夫婦で一瞬息詰まるような気持ちになって、われに返ってほっとした。
あれはいまでは昔の出来事。
ああ、無事に終わってほんとうによかった。
平成12年生まれが前厄にあたると聞いたので門戸厄神の社務所で長男のため年間祈祷を申し込み、各堂に手を合わせて回った。
厄払いのご利益を求めて関西各地から参拝客が訪れているのだと駐車場に停まるクルマのナンバーから分かった。
うちからだとクルマで15分ほど。
ありがたい話と言えた。
門戸厄神周辺の入り組んだ細い路地を抜け南へと向かい、最後に西宮神社を訪れた。
広々とした参道を歩き夫婦揃って社殿に手を合わせ頭を下げた。
無事に参拝を終えて空模様と同様、心も晴れた。
ちょうど昼時に差し掛かっていたから門戸厄神へと引き返し、夢打庵にて蕎麦を食べることにした。
骨太とも言うべき食べごたえある手打麺の喉ごしは最上で、わたしがもっとも気に入る蕎麦屋であるが、家内の方はもっと華奢で繊細な蕎麦が好みとのこと、土山人や文目堂の蕎麦の方がいいらしい。
蕎麦談義で盛り上がりながら家に戻って、わたしは武庫川を8km走り、家内の後を追ってジムへと向かった。
そこで2km泳いで、帰宅してようやく日曜日の団欒が始まった。
味包でテイクアウトした本格中華をつまんでワインを飲み、この日は家について語り合うことになった。
子どもたちがここで過ごし、ここで育ったのであるから、この家に家族の歴史が内包されているも同然で、だから家族を語る際、家を抜きには話が始まらない。
つまり家を語ることは家族について話すのと同じことなのだった。
玄関や裏庭や各部屋各所について夫婦で話し、そして実のところ夫婦の目はそこで過ごした子どもたちの昔の姿に結ばれていた。
ふと、ちびっ子当時の息子たちが階段を降りてくる場面が目に浮かんだ。
朝、目覚めると二人は階段を一段一段ゆっくりと降り、リビングに姿を現した。
家内とともに階段に目をやって回想し、いまここにあのときの二人が姿を見せたらどうだろうと想像してみた。
夫婦ふたりの行動はまったく同じものになるだろう。
小さな二人に抱きついてキスしまくる。
そうなるのは明らかなことだった。
ああ、なんて可愛かったのだろう。
二人の小さな面影がありありと浮かんで、だからいつまでたっても夫婦の会話は途切れず続いた。