母にとって息子の誕生日は特別な日。
なにしろ自身のお腹に宿って十月十日。
文字通り一心同体で過ごした後、難渋の数時間を経てようやく息子が姿を現した。
直に耳にした産声とともに忘れようにも忘れられない、生涯のなか屹立した日と言える。
だから誕生日になると息子によくしようとの思いがさらに高まる。
昨日、家内は息子の好物を求めて東奔西走した。
梅田の百貨店で果物とお菓子を買い、芦屋でケーキを買い求め夕飯に備えた。
傍で見ていて、家内にとっても大事な日なのだと理解できる。
ここぞとばかり嬉々と尽くす姿に家内の心のうちが明瞭に表れている。
もちろん普段から子に尽くす母である。
子を授かって以来、息子にとってプラス、そう思うことのすべてを家内はやってきたのではないだろうか。
自分の事よりまず息子。
総力動員し息子を育て、自分のことを後回しにしてもそれが彼女にとっては喜びだった。
それが伊達や酔狂でないのは、現在進行で続く食事作りに端的に現れている。
家を整え子らの食事に精魂込める。
家内の個人の時間は、その余白にあるやなしや、といった程度である。
そもそものはじまりにおいてお腹のなかにいたからだろう。
息子がこの世界に出現した後も、その未来を預かっている。
母という知性はそうと知り、それが良いものとなるよう最善を尽くす。
周囲見渡せば、類は友を呼ぶという現象がよく分かる。
親しくなる母はどの母も似たようなもの。
それでわたしも母という存在が果たす役割への理解が深まった。
母らは子どもの未来を預かる戦友どうし。
その目的において向上心や真面目さを同じくするから気心も知れて付き合い深まり、相乗効果で互いが良い見本となって高め合う。
そんな交流を通じ、息子はますます正の作用を享受することになる。
わたしは息子に伝えねばならない。
良い母と出会えたことは、幸運の星のもと生まれたも同然。
母を大事するのは当たり前のことである。