山の斜面が午後の陽射しを受けまるで波打つみたいに輝いて見える。
秋深まり木々が鮮やか色づいて感傷を誘う。
車内アナウンスが流れた。
尼崎塚本間でトラックが橋桁にぶつかって線路上に障害物が散乱した。
そのため後続の列車に遅れが生じている。
四條畷での快速との待ち合わせは見送る可能性があり長尾にはこの電車が先に到着するかもしれません。
電車は四條畷駅に停車したまま長い時間待機した。
藤川神父に連絡し同窓会報の原稿を依頼したのは9月3日月曜朝のことだった。
ちょうど三ヶ月前のことになる。
君のこと、覚えているよ。
藤川神父がそう言って、わたしは嬉しかった。
電話の向こうでは中一の頃のわたしが浮かんでいるのかもしれず、わたしも中一当時の藤川神父を思い浮かべていた。
藤川神父は原稿執筆を快く引き受けてくださった。
約一時間後、原稿がFAXで送られてきた。
手書きの原稿を一言一句テキストデータに変換した作業は今思えばわたしにとって一期一会とも言えるコミュニケーションの一場面となった。
この日の朝、タコちゃんから藤川神父の訃報を知らされたとき、驚きのあまり声が出た。
まわりに人がいてその視線を感じたが、漏れ出る声は止まらなかった。
キリスト教において11月2日は死者の日とされる。
この日、逝去したすべての魂のために祈りが捧げられる。
藤川神父が神のもと召されるとすればこの日をおいて他になかったのかもしれない。
そんなことを思いながら藤川神父の帰天の報についてされる33期のラインでのやりとりを眺める。
9月16日の同窓会に藤川神父の出席は叶わなかった。
が、大浅田くんが東京まで出かけ藤川神父からのメッセージを撮影してくれた。
わたしたちにとってその映像が藤川神父の面影に触れる最期の機会となった。
同窓会を開いていてほんとうに良かった。
遠足の帰りだろうか、小学校低学年のちびっ子が手持ち無沙汰となって車両内をあちこち動きまわっている。
若い女の先生がちびっ子たちを追いかけて、まるで鬼ごっこしているみたいに見えて微笑ましい。
結局、電車は快速を待たず先に出発することになった。
電車が動き出した途端、それが合図であったみたいにちびっ子たちは行儀よく座席に戻った。
11月3日に大阪星光ではスクールフェアが催される。
毎年同日に物故者ミサが行われる。
昨年の司祭は藤川神父だった。
その司祭が今年のミサにおいて祈りを捧げられるのだと思うと寂しい。
まもなく河内磐船駅に到着し電車を降りた。
西陽射す方に向いて歩くが、時を追うごと、風が一段と冷たさを増していた。
季節は暮れて、冬が訪れようとしていた。