カリスマの手によるヘッドスパだけでなく、足と腕も含め計2時間の施術を受けたというから、後は楽をさせてあげねばならない。
夕飯は外で済まそうと話し、塚口の「ふじ鮨」に連絡を入れた。
店主が出たので予約したい旨を告げるが、緊急事態宣言を受け9月12日まで休業しているのだという。
では、と近場で心当たりを思い巡らせた。
ジムの帰りに何度か前を通りかかった韓国料理屋のことが頭に浮かび、家内もそこでいいと言う。
徒歩圏内であったが、楽が先決。
クルマで向かった。
客の入りはまばらだったが密を避け、メインスペースに背を向ける形でわたしたちはカウンター席に腰掛けた。
それで正解だった。
後方のテーブル席に座るおじさんの声がやたらと大きく、夫婦で何度も顔を見合わせ互いの意向を伺った。
心地悪さを覚え腰が上がりかけたが、出てきた料理が美味しく期待が不快を上回ったので、わたしたちは離席を留まった。
おじさんは隣席の女性グループに向け好き放題といった音量で好きなだけ話しをしていた。
女性客らは店のママの友人であるらしく、あしらうこともままならないようであった。
そんな力学のなか、おじさんはひとり機嫌よく独壇場を楽しんでいた。
同じ話が繰り返された。
高校生の息子が二人いて、ともに強豪のラグビー部に属し、私学だから金がかかって、おまけにこの二人が肉ばかり食べる巨漢で、高くついて仕方がない。
はっはっは。
やがてそれらフレーズが歌のサビみたいにわたしたちの耳に馴染み、口ずさめそうな域に達したとき、不思議なことに不快が薄れその無骨な親心が微笑ましいものに思えてきた。
肉ばかり食べる息子二人が具体的なイメージを帯びて頭に浮かぶ。
かさばる巨漢は鬱陶しいが、若気の荒削りさのなか愛嬌もあって憎めない。
遠い向こう側に見知らぬ二人の姿が像を結び、そしてそれと対になってこちら側にうちの息子二人が姿を現した。
わたしたちは隣り合って我が子について話を始め、対抗心が萌芽したのか次第勢い増して、声量も豊かに音色も揃った。
強豪ではないがともにラグビーに勤しんだ。
いまはそれぞれ親元を離れた大学生。
肉も食べるが魚も食べる。
巨漢にはほど遠いが、人並み以上に逞しく精悍なカラダをしていて強靭で頑強。
上は兵庫県代表候補に選ばれたし、下は大阪府代表に選ばれた。
後方ではおじさんがソロで歌って、カウンターではわたしたち夫婦が子らについてデュエットし始めたようなものであるから、一種のミュージカルとも言ってよかった。
若ければ、互い席を立ってダンス対決にまで至ったに違いない。
うちの子が上、いやいや、わしの子が上。
両者の聞えよがしに通底するのは、子への愛。
出物腫れ物所嫌わず。
子のことになればまるで生理現象のごとく売られた喧嘩は即座に買われ親は歌って踊って張り合うのだった。
さんざ歌って気が済んだのだろう。
おじさんが席を立って店を後にした。
続いて、わたしたちも店を出た。
料理はおいしく、言いたいことを言いたいだけ言って、いい気分。
「歌」の余韻にひたりつつ、今度は息子も連れてこようと家内と再訪を誓った。