KORANIKATARU

子らに語る時々日記

かねしろ内科クリニックが誕生した夜

午後6時、地下鉄谷町線の平野駅に到着した。

同じ路線の他駅と比較し、すべてが大きい。

そう感じつつ、地上に出た。

 

あたりを見回す。

街は明るく道幅も広い。

交通量はもちろん人通りも多い。

同じ路線の他の駅前と比較し明らかに開けて栄えている。

 

教えられた住所は、平野区背戸口5丁目5番16号。

待ち合わせは6時半だったが、そこを起点に周辺を歩いて目を馴染ませるつもりだった。

 

グーグルマップを見ると駅から至近。

ダイコクドラッグとモスバーガーに挟まれた通りに入ると、目的の建物がすぐ目に飛び込んできた。

 

ゆったり広々した生活道が交差する角地にあって、目立ってかつ落ち着いた場所であるからクリニックの佇まいとしては最適地。

そう直感した。

 

どれどれと歩いて近づくと、こちらに向いて歩くカネちゃんの姿が見えた。

建物の鍵をこれから不動産屋まで取りに行くという。

 

一緒に連れ立ち、平野流町の信号を渡って不動産屋を訪れた。

カネちゃんが鍵を受け取る場面に立ち会い、わたしはこのシーンをこの先も忘れないだろうと思った。

 

建物に入って手探りで電気のスイッチを探しながら、カネちゃんとともに広々とした空間を1階から2階へと見て回った。

 

各所の用途について話し合うにつれ、ここがカネちゃんのクリニックになるのだという強い実感が込み上がってきた。

造り頑丈な建物がクリニックの盤石にお墨付きを与えているようなものであった。

 

今後のスケジュールや役割分担について話し合い、クリニックの名前を考えた。

 

かねしろ内科クリニック。

座りがいいので、これでいこうとわたしが言うと、カネちゃんが言った。

かねしろ内科・消化器内科クリニックはどうか。

 

二人で早口言葉のようにそれぞれの名称を何度も口ずさみ、歯切れのいい

『かねしろ内科クリニック』にしようと満場一致で可決確定した。

 

名称についての意見を交わしつつ、わたしは遠い昔の一場面を思い出していた。

 

星光からの帰り道、カネちゃんが自転車をゆっくりと漕ぎ、ソウも自転車をゆっくりと漕ぎ、その間に挟まれるようにして、わたしは歩いた。

中1から中2まで同じクラスだったので、そのトリオで一緒に帰っていたのだった。

 

あるときカネちゃんがボソリと言った。

医者になって、いつか開業する。

 

カネちゃんの背が伸びスボンの丈が短くなって、その分、自転車漕ぐ足元の白い靴下の露出が大きくなっていた。

目に鮮やかな白いソックスとともにその言葉が記憶に残っているので、中1ではなく中2の頃の話ではないだろうか。

 

あれから、かれこれ35年。

その実現の場面をいま眼前にしているのだと思って、わたしはなにか込み上がってくるものを感じた。

 

平野の街の雰囲気とカネちゃんという人物はぴったり合致している。

内科医として円熟味増し、人としての厚みも増したカネちゃんが、その平野の地域医療に身を捧ぐことになる。

 

これまでのすべてのことが、ここに繋がるための意義深い準備期間だったのだと思えてくる。

来年5月13日の月曜日に開院となって、時を置かずカネちゃんは晴れて50歳、節目の誕生日を迎える。

 

つまり来年は記念すべき金城元年ということになる。

 

今後についての打ち合わせをあらかた終え、続きは飯を食いながらとなってカネちゃんの運転でミナミに向かった。

夕飯の場所は法善寺にある鮨うちやま。

カウンターに並んで腰掛けた。

 

鮨うちやまは流石であった。

ミナミにあって、異空間。

料理はどれも絶品、雰囲気も申し分なかった。

 

たとえば、一見ふつうの味噌汁と思わせて、中に入るのがクエといったように心憎いほど細部にまで贅が尽くされ、随所で驚かされた。

 

カネちゃんと二人、日本酒を注ぎ合って鮨に舌鼓打ち続け、この先について話し合い、ときおり思い出にもふけった。

生涯忘れることのない酒席となった。

 

店を出て、ミナミの往来に出る。

ともに明日は早い。

 

じゃあまた、と金城院長とハイタッチして気持ちも高らかわたしは駅へと向かった。

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2018年12月14日午後8時 大阪ミナミ 鮨うちやま