親戚が集まり朝から酒盛りして騒ぐ元旦が嫌で、子どものときからずっと苦痛だった。
誰であれ平穏で心静かな正月を過ごしたい。
意に沿わぬものを甘受せよと家族に強要することは正しいことではない。
そう確信したので元旦の実家にはわたし一人が赴いた。
結果、父とわたしの「べき論」が真っ向対立することになった。
いずれにせよ、親戚の誰かと誰かが酔って言い合いになるのが恒例であるからこれも含めて実家の元旦の光景なのだった。
正月には全員が挨拶に来るべき、と父はその信念を語り、いつ挨拶に来るかは各自が自由に決めればいい、とわたしは自らが思う理想を述べた。
話は平行線を辿り、簡単には解消できないしこりが残った。
縁を切ると父はわたしを怒鳴ったが切って切れるものではない。
親を相手に短気を起こせば、巨大な後悔が先に待つ。
平行線の決着は時間に委ねる以外に打つ手はない。
自分のなかでまずはそう結論し、ひとり実家を後にした。
帰宅するとそこには安らぎがあった。
家内が温めてくれたお雑煮を食べながらあれこれ喋るうち気持ちがすっかり落ち着いた。
受験をテーマにした韓国ドラマが面白い。
家内がそう言い、録画してあった『SKYキャッスル』を一緒に見ているうち長男が従兄弟を一人連れて帰ってきて急に家が賑やかになった。
夕飯はてっちり。
みな総出で支度を手伝った。
そのうち二男も戻って5人で鍋を囲んだ。
男っぽい陽性の笑いで場はなごみ温かく、これでこそ元旦の光景であるべきだろうとわたしは思った。
食後はリビングで寝転がり、テレビで漫才を見てくつろいだ。
深夜まで笑い声は絶えなかった。