走力でもまったく敵わない。
約一時間ゆっくりペースで走り、最後、眼前数百メートル先に見える武庫川大橋をゴールに据えてピッチをあげた。
みるみる引き離され、家内の背がどんどん遠のいていった。
汗が滴り、雨上がりの砂地を駈けたせいで足元は泥んこになった。
が、走り終えた後の爽快感はえもいわれぬものであった。
この土曜日をどう過ごそうか。
家へと引き返しながら家内と話す。
このご時世である。
おとなしくする以外に選択肢はない。
日用品の買物だけしてあとは家でのんびりしよう。
そう決まった。
昼を済ませ、まずは尼崎のコーナンに向かった。
閑散としているのかと思いきや駐車場は満杯で広い店内は人で溢れていた。
家の各所において整理整頓が必要で、そのための収納ボックスなどを幾つか選び、さっさとそこを後にした。
雨が再び降り出した午後。
玄関先、キッチン、ベランダ各所に収納ボックスやら収納棚を備え付け、家内と手分けし家を整えた。
結構な重労働となって、はや夕刻。
お腹も空いた。
フルーツをたくさん買いたい。
家内がそう言うのでマルナカ西宮店へとクルマを走らせ食材を買い求めることにした。
四国を本拠にするスーパーマーケットなだけあって果物の品揃えがダントツ。
その他、肉も魚も野菜も充実している。
二男を思えばあれこれ食べさせたいとなるからたちまちカゴ2つが満杯になった。
その分量だけ見れば大家族。
いったいわたしたちは何人家族なのだろう。
家内がそう言って笑った。
前夜同様、夕飯は家内と二人。
食卓に並んで座って赤ワインを注ぎ肉を分け合っていると長男からメッセージが届いた。
安倍さんの緊急会見を受け塾が臨時休講になった。
これから生徒宅一軒一軒に電話する。
30軒あるから二時間はかかる。
そんな内容だった。
そういえば、と家内が言った。
星光から電話がかかってくることは滅多にない。
そこが西大和とまったく違う。
実際いまも連日、西大和の先生は生徒に対し電話連絡を欠かさない。
わたしは33期の谷くんの言葉を思い出し、そういえば、と応じた。
二年前の飲み会の際、隣に座った谷くんが言った。
いまの大阪星光は、おれらのときより格段に入るのが難しい。
でも大学進学実績はおれらのときの方が断然いい。
なんでだろ?
家内と意見が一致した。
声を聞く、裏返せば、声が届くかどうかという点に答えが潜んでいるのかもしれない。
星光のなかにも非常に熱心で優秀な先生方がたくさんいる。
まずその声がかき消えることなく「学校」に届くようになるのが先決で、そうなれば学校内に受け手が生まれる訳であるから保護者や生徒の声も「学校」に届くようになる。
声さえ届けばそれに導かれるようにして血行が良くなって、学校全体が活気に満ちることになるはずである。
そんな結論とともに食事を終え、家内は二男のために肉を焼き始め、わたしは溜まった新聞を読み始めた。
朝日新聞に池上彰さんの「新聞ななめ読み」というコラムがあって目に留まった。
財務省職員の手記に関する各紙紙面を読み比べ論評が為される。
寄り添うという言葉にはいまや手垢がついて意味を為さない。
そんな理由で氏は共感力というワードを以って各紙を巡り、読売新聞の記事の共感力の欠如を指摘していた。
読んで思う。
なるほど、共感力。
二男に読ませるためわたしはその箇所を抜き取った。