早朝6時。
わたしの前におじさんが2人。
隊列を組むような格好で、無関係な男3人が前後に並んで通りを歩く。
左手にまもなくコンビニ。
一番前を行くおじさんが入口に吸い込まれ、続くおじさんも同様。
わたしも後からついていく。
たまたま同じ通りを歩いていただけ。
まったく見ず知らずの者同士であるが、このご時世、行動様式が類似する。
先頭がマスクの棚を素通りし、次のおじさんもまた同様。
その様子からマスクは欠品。
そうと分かってわたしは棚を目前に引き返した。
早朝なら手に入る。
この都市伝説も褪せてきた。
昼日中に出合うこともあるし、夜出くわすこともある。
どの時間帯であれ見かけたときには何かが湧き出る。
心のうちぱっと花咲くような感覚というのだろうか、癖になる。
変な話であるが射幸心がくすぐられ、それが理由で習慣化したというのが真相のように思える。
実際、ある程度の備蓄があるから切迫している訳でもなんでもない。
この日の夜、業務を終えて事務所に戻る道すがら。
ドラッグストアの前に人が群がっていて、わたしも同様に群がった。
子ども用のマスクの入荷があったばかりのようだった。
密集のなか手を伸ばし、ひとつを手に取り購入した。
事務所で用事を終えての帰途。
別のドラッグストアに差し掛かった。
何か入荷があったようで人が集まり始めていた。
大人用のマスクを求めて肩落とす人らを横目に、わたしは子ども用のマスクをもうひとつゲットした。
ポケットに忍ばせた封筒を開け、さっきのマスクにいま手に入れたマスクを追加しポストに入れた。
あて先は義弟。
義弟のところは子が小さい。
マスクがあれば何かの足しになるだろう。
収集癖とは無縁なタチだが、ここ最近はこのようにマスクに執心することになった。
まさか自分がそうなるなど、夢にも思わなかったことである。
コンビニやドラッグストアを見かけるとマスクの在庫がある訳もないのに気になって仕方がない。
いまの事態が収まって、一刻も早くこの奇行から解放されたい。