土曜の午後、王寺を訪れた。
そこに顧問先があり、仕事で出入りしかれこれ10年になる。
その間、長男が王寺の中高に通って卒業し、王寺の名店鶴亀は先ごろ閉店となった。
たまに訪れる程度の地であるが、息子の学校がそこにあれば自然、思い入れが強くなる。
夕刻、業務を終え少し寄り道することにした。
大和田駅で途中下車し、西大和学園の方に向いて歩いた。
これといった用事は何もなく、寄り道自体が無目的であった。
強いて挙げれば、歴史探訪といったところだろうか。
息子が中1から高3まで通った場所である。
そこにはいろいろな思い出が詰まっている。
用もなく冷蔵庫の扉を開けるみたいなものと言えるだろう。
どれどれ。
わたしたちは理由もなく中を覗き込む。
学校間近になって、わたしのなかのセンサーがバス停あたりで強く作動しはじめた。
まるでダウジング。
最も濃厚な思い出はここに詰まっているのだった。
たいていは懇談の後。
話し疲れて息子と二人、黙りこくって夕闇のなかでバスを待った。
その静けさが時間を稠密なものにした。
バス停に立って、わたしは思い出にふけった。
生徒の姿はどこにもなく、バス停は無人で、やってきたバスにも乗客はなかった。
窓外の景色に目をやっていると、ほどなくして王寺駅に到着した。
ロータリーで魚八庭の惣菜が売られていたので買い求めた。
手荷物が増え、仕事先でもらった弁当をずっと平らに持って歩いていたが面倒になって縦にしてカバンにしまい込んだ。
どうせ胃の中で混ざる。
単なる後先の話であった。
ホームに立ち快速電車を待つ。
バス停やら駅のホームなど、手当たり次第に撮った写真を長男に送ると、懐かしい、と即座一言返信があった。
続いて長男から食事風景の写真が送られてきた。
友だち二人と一緒に外で飯を食っているとのことだった。
その友人は近所の学生かと質問すると、二人とも開成出身のバイト仲間なのだという。
その瞬間、わたしの第一印象が変化した。
開成、というワンワードで認識が様変わりしたのだった。
すべて言葉には意味がある。
その意味が共有されているからわたしたちは言葉を交わすことができる。
そして、意味には大小があって、だから価値が言葉に内包される。
言葉が示す具体性とは別途、伴う価値も行き来し認識が影響を受ける。
それが言葉本来の機能であるから当たり前の話であり、そうでなければ話が通じず円滑な社会生活は成り立ち難い。
西大和という言葉も、今ではそこそこの上昇ワードであるが、上には上がいて不動。
西大和の上位層だけ抽出しても、とても開成には張り合えない。
それでわたしは、おおすげーと息子に返事し、思った。
並び立つレベルにはほど遠いが、その価値の枠を広げた末席に座を占められれば御の字。
言葉は生き物であり、その意味は移り変わる。
学校名について言えば進学実績ひとつでその言葉が有してきた意味は失われ、括りも変わる。
多かれ少なかれ出身校の存在は自身のアイデンティティと不可分に結びついている。
だから、それが実体とはまた別の単なる概念と重々分かった上で、母校の有する価値が粗末なものになったとすればもの悲しい。
大阪星光という言葉が今後輝きを増すのか失うのか。
わたしの思考の焦点は次に66期に移り、結局最後には実体としての我が子のことに結ばれていった。