夜10時、二男が帰ってきた。
OBらとの練習を終えた後、うちの実家を訪ね風呂にも入ってきたという。
そんな話を聞くとわたしは嬉しい。
わたし自身がたまに実家に顔を出し、そしてわたしだけでなく息子らもときおり顔を出す。
単に顔を出すだけで喜ぶ人がいる。
息子でも嬉しいだろうが、孫ならなおさら。
ぶらり立ち寄り炬燵に座り、別段会話が弾むわけではないが、ひととき過ごす。
それだけで老親にとってはまたとない充実の時間となる。
生きた軌跡のそのあとに孫が残ればすべてよし、というものであろう。
若さ溢れて、おそらく前途洋々。
孫を思えば老境の心も穏やかに満たされる。
実家に寄ったことを二男がわたしに報告し、もらった小遣いで買ったAirPodsを見せてくれる。
二男が喜びわたしも喜び、わたしの両親も喜んだ。
こういうことをいいこと尽くめと言うのだろう。
昨日の昼、長男から電話がかかってきた。
大学の期末試験の成績発表があってその報告だった。
わたし自身は電話が苦手でまれに苦痛を覚えるが、息子の電話は別腹。
他愛のない話であっても、しみじみ嬉しいと感じる。
嬉しい。
そうなるのは実に簡単で安上がり。
一本の電話、一緒に過ごす時間があればそうなるのだから、なんと手軽で手っ取り早い話だろう。