KORANIKATARU

子らに語る時々日記

実に簡単で安上がり

夜10時、二男が帰ってきた。

OBらとの練習を終えた後、うちの実家を訪ね風呂にも入ってきたという。

 

そんな話を聞くとわたしは嬉しい。

わたし自身がたまに実家に顔を出し、そしてわたしだけでなく息子らもときおり顔を出す。

 

単に顔を出すだけで喜ぶ人がいる。

息子でも嬉しいだろうが、孫ならなおさら。

 

ぶらり立ち寄り炬燵に座り、別段会話が弾むわけではないが、ひととき過ごす。

それだけで老親にとってはまたとない充実の時間となる。

 

生きた軌跡のそのあとに孫が残ればすべてよし、というものであろう。

若さ溢れて、おそらく前途洋々。

孫を思えば老境の心も穏やかに満たされる。

 

実家に寄ったことを二男がわたしに報告し、もらった小遣いで買ったAirPodsを見せてくれる。

 

二男が喜びわたしも喜び、わたしの両親も喜んだ。

こういうことをいいこと尽くめと言うのだろう。

 

昨日の昼、長男から電話がかかってきた。

大学の期末試験の成績発表があってその報告だった。

 

わたし自身は電話が苦手でまれに苦痛を覚えるが、息子の電話は別腹。

他愛のない話であっても、しみじみ嬉しいと感じる。

 

嬉しい。

そうなるのは実に簡単で安上がり。

一本の電話、一緒に過ごす時間があればそうなるのだから、なんと手軽で手っ取り早い話だろう。

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2020年3月10日 息子の朝食と弁当

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2020年3月10日夕飯 播磨灘の牡蠣

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2020年3月8日の光景 大量に飲み大量に食べる